子どもの頃、夏休み最終日の8月31日は一年で一番ゆううつな日でした。楽しい休みは終わってしまい、また学校に戻らなくてはなりません。1学期の終業式の日、夏休みが永遠に続くような気がしていたのに、なんでこんなに早く過ぎてしまったのだろう…。それと同じで、一生もあっという間に終わるのかもしれません。

ウラナイ8のサイトで終活について書き始めました。占いは運を上げて幸せになるためのものなのに、「死」なんてことばがあるのは、縁起が悪い? しかも占いでは死期を占うことはタブーとされていますし。

西洋占星術や四柱推命などの命術では、誕生日によって運命の道筋が示されます。占い学校の四柱推命のクラスに妊婦さんがいて「帝王切開なので、出産日を選びたい」と言い出したことがあります。

先生は「そういうことはしないほうがいい。病院が提示する日に従いなさい」と忠告していました。「どの日を選んでも、完璧なタイミングなんてない。生まれた時に最高の命式だったとしても、大運や流年で崩れてくるから」というのがその理由。それに、人生がうまく回らなかった時「この誕生日を選んだ母親のせいだ」と恨まれたらたまりませんから。

そして、誕生日と同様、いつ死ぬかも選べません。今後、安楽死が認められるかもしれませんが、今のところはどこまで延命治療をするか意思表明しておくぐらいしかできません。

死期をコントロールできないからといって、何もせずにぼんやりその日を待っていいのでしょうか。古来、名将や名経営者と讃えられる人物は攻める時よりも撤退戦で手腕を発揮するものです。

『よく死ぬことは、よく生きることだ』は、ジャーナリストの千葉敦子の著書のタイトル。元祖おひとり様みたいな女性で、乳がんを患いながらニューヨークに移住し、1987年に46歳という若さで亡くなっています。40歳で最初の乳がん手術を受けてから、彼女はずっと「死ぬこと」を意識していました。たいした病気もせず、昨日と同じ明日が続くとぼんやり生きるよりも、濃密な人生を送ったのです。

あとどれだけ生きるかはわかりませんが、いつか終わりがあると意識することで、今日一日が特別な一日のように感じられます。特別なことをせず、のんびり過ごしたとしても、それはそれで貴重な一日です。死について準備を始めたいもの。それが生きている日々を充実させることに通じると考えています。

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