占えば百発百中、好きになれば相思相愛、本を書けば重版に次ぐ重版、株を買えばすべて値上がり…みたいな人生を夢見るのですが、そんなことは決してありません。

 

断易の講座で「大旺(たいおう)の事例」を習いました。
断易は文字通り断ずる易ですから、吉凶が周易よりもはっきりわかるといわれています。占った瞬間の干支暦により、占的の勢いの強弱がデジタルに出ます。

しかし、これがなかなか曲者で、あらゆる項目がすべて「吉」を指し示すと、それはゴムボールに空気をぱんぱんに入れたような状態で、強すぎるから「凶」と読むのです。これが「大旺の事例」。陽の極みは、極まった時点で陰に転じるのと同じく、あまりにも吉が強すぎると、凶が入り込みます。「好事魔多し」と言い換えてもいいかも。

 

私たちは往々にして、運が悪い時は「もうだめだ、何をやってもうまくいかない」と絶望し、ラッキーなことが続けば「何をやっても大丈夫だ」と有頂天になります。
大吉には小凶が入り込み、大凶には小吉が入り込む。そのくらいの心構えでいるのがちょうどいい。だから、アンラッキーなことが起こると「これで済んでよかった」と思うようにしています。

吉凶が交互に訪れるのなら、占い師なんか要らないじゃないかと言われそうですが、全体的な流れを見るためには占いは有効です。そして、吉と思い込んでいたことが凶だった、あるいはその逆のこともありますし、自分とは違う視点で流れを見ると、あれこれ発見があるものです。

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