おはようございます。今朝のデイリーメッセージは、日曜枠から出張してきた天海玉紀がお届けします。
先月は「黒っぽいカード」についてお話しました。

今日はもう少し具体的に「なんか良くなさそう」と思われやすいカードの世界をのぞいてみましょう。

ライダー版(準拠)のタロットカードを使っている(もしくは学んでいる)方は多いでしょう。ライダー版タロットでは、小アルカナのカップやペンタクルスのカードには「気持ちの満足」や「物質的な豊かさ」など、いかにもわかりやすい「しあわせ」そうな場面が多く描かれています。

それに対して、棒のワンドや特に剣のソードの小アルカナカードでは、人間の闘争や心の傷つきなどの厳しい場面が描かれた絵柄のカードが散見されます。

例えば、ワンドの9-10はこちら。用心深く防御したり、重い荷物を抱えて大変そうです。基本に忠実に、火の要素と数の意味を掛け合わせて考えるなら、「ワンドは情熱!ひらめき!」×9や10だから「ものすごくわくわくしておもしろい」場面でも良さそうですが、日々お祭りのように興奮しすぎる状態が続いても疲れてしまいますね。


また、ワンドの精神性や衝動性を追求していった結果として、「超人的なアイデアがどんどん浮かぶ」ことは大いにあるでしょう。その結果として、現実の変化の遅さを強固で鈍重にも感じて落胆したり、ひとりで頑張りすぎて自分の肉体の限界を超えたオーバーワークになってしまうことは予想できます。宗教的な戒律や修行のように、己の精神性を高めるためにあえて肉体に強い負荷をかけつづけるような場面もあるでしょう。

では、ちょっと視点を変えてみます。タロットカードをベースにしているインナーチャイルドカードでは、ワンドの9-10はこんな場面で表現されます。


羽の生えた可愛らしい妖精さんが、そっと木戸を開けているのがワンドの9。泉のあるお庭でくつろいでいるのがワンドの10です。10のカードの奥には丸太の木戸が見えますね。つまり9と10はそれぞれ同じお庭の景色を反対側から描いているわけです。

純化した本来の「ワンド」の世界では、精神性を高めることが求められるでしょう。確かにこの妖精さんは日々のノルマに追われたり、他人と自分を比較する欲望とか、毎月の支払いに追われるとか、嫉妬の炎に焼かれて死にそうだとか、えげつない現実の問題は無縁そうですね。

このワンドの9は新たなステップアップのときに、10は浮世の俗事にとらわれず、自由に心を遊ばせるようなときに出てくるカードです。


お次は「怖そうで悲しそうな黒いカード」の一角を成す、ソードの9と10です。まず背景が黒い。これだけでも相当なインパクトがあります。

タロットをよく知らない人でも、ソードの9の絵柄を見て「悩みすぎて眠れないんです」とか「わたしの考えすぎってことですか?」とおっしゃることがあります。絵のまんまですね。

ちなみに、ソードの10のカードをみて「あ。そろそろ鍼治療に行かなくちゃ。ものすごく疲れているんです」と、さらっとおっしゃった方もいらっしゃいます。すごい。私も行きたい!

ソードは思考や理性。それがたくさん(9や10)ですから、良く解釈すれば、徹底的に考え抜いて冷徹に判断する力です。曖昧さが許されない法律の世界など、ソードの力が必要な場面を想像してみてください。もっと身近な例なら、お仕事に没頭してご飯や睡眠の時間も無駄に感じられる体験をした人は少なくないはずです。

つまりそこでは、現実の肉体(ペンタクル)が犠牲になったり、曖昧な夢やフワッとした気分(カップ)が切り捨てられて、結果的に「悲しい」「不安」になるのかもしれません。

インナーチャイルドカードでの、ソードの9と10はこちら。ドラゴンと人の関係が描かれています。ここでのドラゴンは、西洋の竜ですね。一般的に西洋文化でのドラゴンは、悪い力の象徴として描かれます。つまり、ソードが象徴する理性の力によって、ドラゴンとの調停を行なってドラゴンをおとなしくさせるプロセスが、この9-10に描かれています。

というのが、このカードの説明としては定石ででしょう。何度もこのテーマで、あちこちでお話しています。

しかーし「間違ってないけどちょっとド正論すぎるよね。この説明にもちょっと飽きたよね」なーんって、密かに思っているときに出会ったのがこちら。

◯ のんきなりゅう|ケネスグレアム


◯ 久しぶりの店頭復活『おひとよしのりゅう』(石井桃子訳)
https://www.kyobunkwan.co.jp/narnia/archives/weblog/d51e19aa

これはねーーー。しびれます。種明かしはぜひ、ご自身で原典に当たってみてください。
聖ジョージも、りゅうも、めちゃめちゃ大人なのです。

ヨーロッパでは、大人も子どもも、聖ジョージは竜をやっつけるものだと知っています。いわば桃太郎と鬼のような関係です。邪悪な竜に苦しめられ生けにえをささげている村に、旅の騎士、聖ジョージが白馬に乗ってさっそうとあらわれ、竜を退治してお姫さまをたすけだすというのが、お決まりのパターン。

(中略)

日本人のわたしたちは、竜というとどこか神聖なイメージを持っているのですが、どうやら西洋ではとことん悪役のようですね。人間の手におえない大きな力を「竜」と名づけた点では共通するものがあるのでしょうが。

(のんきなりゅう・訳者あとがき p.88)

自分の心の中の「りゅう」を頭ごなしに否定したりいきなり殺したりしない。でも常にいっしょにいるわけにもいかない。そんな心の中の「りゅう」と、どうやって付き合っていくか、そんなお話はまたどこかで!(天海玉紀)

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