東京に初めて緊急事態宣言が発令されたのが2020年4月7日。
コロナに翻弄された2年間。大学がリモート講義ばかりになり学生同士の交流がないまま卒業が近づいているという気の毒な若い人。その一方で「足腰が弱る前に旅行を楽しみたかったのに、このまま老いてしまう」と嘆く高齢者もいます。
世代を問わず、やりたいことができない日々が続きましたが、中には「無駄な社交にエネルギーを使わずにすんで快適だった」という人も。窮屈といえば窮屈だけど、課せられた制限はみんな同じ。不平不満だらけで生きるか、できる範囲で楽しめることを探すかの選択はその人次第です。
こんな話を思い出しました。
壁に囲まれた街の門番。街を訪れる旅人から「ここはどんな街?」と聞かれると、「前の街はどうだった?」と逆質問します。
「ひどいところだったよ。冷たい人だらけで、宿のサービスは悪いし、食事もまずかった」と愚痴をこぼす旅人に対しては「ここも同じだよ。気を付けて」とアドバイスします。
「とてもいいところだったよ。みんな親切だったし、楽しいイベントもあったし」と明るく答える旅人には「ようこそ。この街も同じぐらい楽しんで!」と歓迎します。
もちろん、世の中はこの寓話のように単純ではありませんが、一面の真理はあります。パンデミックの時期も、工夫しながら自分なりの暮らしを確立してきた人は、コロナの収束後も新しい楽しみを見つけられるでしょう。反対に、コロナのせいで人生を無駄にしてしまったという被害者意識に凝り固まっている人は、すべての規制がなくなれば最高の人生が待っているでしょうか?
ケネス田中先生の英語で学ぶ仏教講座では、「苦しみはresponce(反応)であり、condition(状態)ではない」と繰り返し学びました。
"Pain is inevitable, but suffering is optional."
痛みは避けられないが、苦しみは選ぶことができる。
もちろん、世の中にはどうしようもない苦しみも存在しますが、日常生活で起こるレベルの幸・不幸は自分で決めることができます。
「この2年はどうだったか」を振り返るなら、なるべく楽しかったことを思い浮かべたいものです。