ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』に「テヘランの死神」という逸話が出てきます。

裕福なペルシア人の召使が、死神にばったり遭遇し脅された。
召使はあわてふためいて主人に「一番足の速い馬をください。今日の夜までにテヘランへ逃げます」と泣きついた。
主人は馬を与え、召使は逃げて行った。次に主人が死神に会った。主人は死神に「私の召使をずいぶん驚かせたな」と言うと、死神は「驚いたのはこっちだ。あの男とは今夜、テヘランで会うはずなのにここで会ったから」と答えた

フランクルは医師なので「病囚の収容所への移送」に志願しました。友人のオットーは「そんなところに行くと石鹸にされて終わりだ」と止めたのですが、フランクルは「私たちは死神の手のひらで踊っているだけだ」と移送列車に乗り込みます。その結果、生き残ったのはフランクルでオットーは死にました。

 

プリモ・レーヴィの『これが人間か』にも同じような展開があります。

1945年1月、ドイツの敗色は濃厚になり、強制収容所を支配していたドイツ人も収容者たちも逃げ出します。しかし、レーヴィは猩紅熱にかかっていたため動けません。親友のアルベルトは子どもの時に猩紅熱にかかっていて免疫がありました。アルベルトは出発し、レーヴィは残りました。

出発した者のほとんどは道筋の途中で死に、アルベルトもその一人です。レーヴィは生き残り、イタリアに帰国後は化学技師として働きながら本を書き続けました。結婚して長男と長女を授かり、会社では出世し、数々の文学賞も受賞。その一方でうつ病に苦しみ、解放から42年後の1987年、自殺しました。

 

刻々とコロナウイルスの感染者数が報じられ、外出自粛が叫ばれる日々。こんな時にユダヤ人迫害の凄惨な本を読むのは悪趣味かもしれませんが、人生を俯瞰するには役立ちます。個人の力ではあらがうこともない大きな流れがあることを認め、目先のニュースに一喜一憂しない胆力を養いたいものです

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