様々な理由で「家を綺麗に」と思うものの、それはかなり難しいもの。私だけじゃないと信じたい。
綺麗にするのがそもそも大変だし、よしんばそれをクリアしてもそのあとに維持するのがまた大変。
生活をするということは汚れること、物が入り込んでくることなのです。

 

 

 

去年の終わりに、給湯器がダメになったり、トイレが詰まったりと立て続けに家の設備の不調が続きました。
実はそのころある心配事が(心配だけで具体的には何もできない案件)あって、しょっちゅう考え込んでいたんです。
そんな最中にトイレが詰まってしまいました。

 

なんだか自分の内情とシンクロしているのを感じましたが、修理の依頼を不動産屋さんにお願いしたらとんとん拍子に進んであっというまに修理の方が来て、あっという間に簡単な処置で直ってしまいました。
その時はそれを見て、
「もしかして、この心配はそんなに重く考えることじゃなかったのかも???」と自分になぞらえて感じました。
辻占みたいなもので、答えはどこからでも聞こえてくるものなのでしょう。

 

 

とここまでは前フリ。
今年に入って心配事が別の意味で再発して「うーーん」と唸っていたところ、なんとまたトイレが詰まってしまいました。
気を付けて使っていたのに。

こんなにも自分と家は相似なのか?

 

とびっくりしました。偶然というにはピンポイント。うちは今家族4人で住んでいますが、明らかに私とリンクしている気が。やはり主婦で母でいる時間は長いし家=自分となりやすいのか。
それなら反対に家が汚れていたら私の中も汚れる訳?と即座に浮かび、即用具を買ってきてトイレは応急処置をし(一時的かもですがよくなった)最近はなるべく片付けを頑張ってます。
「通りが悪い」ということなんだから通路に物を置かない。お恥ずかしい話ですが、つい廊下にお米の袋やペットボトルのケースなど置きっぱなしにしがちなんですけどね。
そして必要以上に悩まないこと。

 

 

ということで私たちは済んでいる家に少なからず影響をうけているし、反対に家にも影響を少なからず与えているようです。
気分や占いの問題以上に、かなり家と自分は同一人物です。
タマゴが先かニワトリが先かはわかりませんが、とりあえずは家を綺麗にしておくに越したことはない。現場からは以上です。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事