水曜日のメッセージは夏瀬杏子が担当します。
あんこのラッキーアクション占いです。

 

 

・・・と思いましたが今日は番外編をお送りします。

 

 

私は占いにハマったのはあまり早くなかったので、占いを仕事にし始めたのは木星期に入ってしばらくしてからでした。

大学を出て最初は化粧品会社の品質管理をほんの少しだけやりましたが、そのあとは細々ながらもずっと薬剤師の仕事をしていました。派遣もやったので職場はかなり数をこなしましたが、職種は変えていません。
私の妹は歯科衛生士なのですが、20代のころは「もう人の口の中を見るのは飽きた」と言ってパン屋に勤めたりしていましたが、私は「わからないでもないけど苦労して何とかゲットした専門職だしな~~」と職種は変えようと思ったことは無かったです。
(ちなみに妹は今はベテラン歯科衛生士)

 

 

 

数年前に薬の仕事は辞めてしましました。
それまでは薬局の仕事の合間に占いの仕事をせっせとやっていたのですが、「あーもう物理的に限界!!」となり、二度と戻れないわけじゃないんだから一旦辞めてしまおうと思い決行しました。
(しかし辞めて4年、この脳でもう戻れるかどうか・・・)

 

 

辞める時には、自分の家族には「辞めるから」くらいのことしか言いませんでした。
そもそもうちは皆自由というのか、誰もそれほど誰が何をしているか気にしてないのです。

 

 

そんな私が一番最後まで気にしたのは・・・母でした。
(母はもう素晴らしく鼻が効くので隠せない)

 

当時家は色々あって経済状態が壊滅していたところを、主に母が滅茶苦茶に働いて大学を出してくれたので(国公立だったので授業料は安かったけど一人暮らしだったのでそれなりにかかった)、それで資格を取れたと思うとなかなか言い出しにくかったのです。
その年になるまでも「薬の仕事を辞める」ということを思うと必ず母のことが浮かんでいました。

 

加えて「占い」という仕事は、今ではわりとライトなイメージもあるかもしれませんが、基本的には裏の仕事、水商売だと私は思っているし、母くらいの上の世代なら尚更ではないかと思います。
大学生のころはお金のことはもちろん、家族の期待が数トン単位でのしかかっていて、プレッシャーが半端無い中に本当に苦労して取った資格なので、それを一旦とはいえ止めるのは収入が減るとかの問題よりよっぽど勇気が要る気がしました。

 

 

とっくに独立しているのに
自分の子供すらもう大きいのに
いつまでも親の影響(というか縛り)はあるものだなあと愕然とします。

 

 

「じゃあ、いくつになったら私は私にOKを出せるのか?」
とその時は考えたんですね。

 

私が50才?
60才?
それとも母が死んだら?

 

となったら
「あ、もう十分やったわ」
「これまで資格のおかげで働くところに苦労はしなかったよ、お母さんサンキュー!!!」

 

 

みたいにアッサリ思い切ってしまい、そして辞めてしまいました。
ひどいですね~~(笑)
まあ、親の影響って大きいということですね。子供の時はもちろんだし、自分が親になっても、自分が老人になってもきっと影響は残るのでしょう。

 

 

そして肝心の母は「儲かっているの?」だけ心配してます。
さすが禄存星の母は現実的です。別に職種がどうかよりそこみたいです。
ただその点だけは母には本当のことはとても言えませんね・・・

 

以上です!
また来週はいつものラッキーアクション占いをお届けします。
よい1週間をお過ごしください。(あんこ)

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