人は一つ悩みをクリアして次の段階に進んでも、またそこで新しい悩みで頭を悩ますものだという話を先日ZOOMの雑談でしていました。
悩みってものは死ぬ時かボケる時まで続くのかもしれません。いやまあ仙人になったら別だけど。

 

恋愛の出会いが無ければ出会いがないで悩み、出会ったら(付き合っても)彼の気持ちがわからないと気分が乱高下し、結婚すればゴールでハッピー♪かと思えば当然そんなことは全くなくどちらかというとスタートであって、一緒に住めばあれが合わないこれが合わないと悩む。

子供だって出来なきゃ悩み出来たら無事に生まれるか悩み、生まれたらおっぱいを飲まないのウンチが出ないのと悩み、歩かないのしゃべらないの勉強しないのとまた悩む。
子供が大きくなったら悩まないのかと思ったらどうも大きくても心配はなくならない。人は心配を作り出す天才です。

 

 

人生には様々な分岐がありルートは網の目のように広がっていてそれはあたかもパラレルワールドのよう。
なのに例えばまだ相手に出会ってもいないのに「結婚したら今の生活はどうなるのか」とか悩んだり、まだ子供が赤ちゃんなのに「ちゃんと自立した大人に育てることができるだろうか」と悩んだりするのはちょっと先読みしすぎというか飛躍しすぎです。
もちろん想像するのは素晴らしいことなんですけど、それはあくまで想像。

どこまで行っても悩みは存在しますが、はるか彼方にある想像上の悩みをわざわざお取り寄せして、今ウンウン悩んでもあまり意味はありません。

 

そしてどの分岐でどのルートを選んでも、悩みの種類が違うだけで苦悩の深さはきっと同じ。
翡翠先生のように自分の財産を自分で後始末しなければいけないのも色々手間と苦労があると思いますが、私のように後に残す物と人がいるのも別の悩ましさがあります。
遺産は少なくても揉めるらしいので後のことを考える必要はあると思っています(これに関してはもうそんな先ではなくなってきた気が・・・)

 

 

今のことだけしか考えないのは刹那的ですが、先のことばかり考えるのも妄想的。
人の悩みは状況次第でどんどん移り変わっていくので、とりあえずは「今自分はどうしたいか」「今必要なものは何か」を考えるのは大切ではないかと思います。

 

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