算命学を学ぶと「家系」という言葉が何度も出てきます。
先日は講座で「異常干支」「三業干支」の説明をしたのですがその中でも家系の中でどうとかという話は出てきました。他にも「家を継ぐ、継がない」というような話が算命学には事欠きません。東は社会、西は個人の領域を示し東洋の占いはどうしても集団の流れの中の個を見る話が多くなります。

 

 

私は若い頃は全く家系なんて考えたことはありませんでした。
はるか大昔の廃れた文明か、地球以外の惑星での話かという位の認識。
今ここに生きているのは自分でしかないし(若いって傲慢)面倒な家だったので血の繋がりが忌々しく思うくらいでした。それは結婚して子供を産んでも変わらず。

 

それが多分、7〜8年くらい前から意識が変わってきました。
好むと好まざるとにかかわらず、自分というのは数珠つなぎの玉の1つなのだと。
ある意味パーツ。
おそらく子供達が成人してきてようやく「バトンを渡す」みたいなことが見えてきたのです。
昔過ぎてどこの誰なのか何も知らなくとも、その人たちから細々とバトンリレーが続いて今ここに自分がいるのですね。影響を受けないわけがありません。

 

 

この数珠つなぎは強力で、同じような悩みや揉め事を繰り返したりするのをいくつも見聞きしました。実際に自分のことでもあり頭を抱えたことがあります。
シンブルに遺伝なのか、近いから互いに影響を与え合うのかは私にはわかりません。
が、何かは間違いなくそこにある。

 

どこの家も大なり小なりの問題を抱えながら数珠つなぎは続き、その中で人はそれぞれ、何らかの役割を果たすのではないかと思います。
私のように数珠の玉の途中の1つになる人もいれば、家はついえていくものなので数珠の玉留めのような役割を果たす人もいる。外れて行く人もいる。それぞれですね。

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