昔、占いを勉強した私はこう思いました。
「私には占いのようにちょっと怪しいものが必要かも。
それなら何らかの形で仕事にするのが早いのでは」
そして仕事にするべく奮闘しましたが、今考えるとそこがシロウトの浅はかさ。よく考えると仕事にしない方が楽しめるってことは往々にしてありますね・・・
でも行動力は人の1.5倍はあるし、何でも体験してみないとわからない性質もあって、体当たりでやってきました。

 

よく私は言ったり書いたりしているのですが、仕事として占いをするにはまずお客様が存在しなければならず、そのためにすることの方が延々と時間と労力を食って、占いは最後のつけたしじゃないか・・・という感じになってました。特に最初のころ。

 

 

やってから思うのは
「占いをする(学ぶ)」
「占いを仕事にする」
というのは似ているようで全然違うということです。
この間二つの間には男と女の間の如く、深くて暗い河が流れていたのでした(おおげさ)

 

 

野球で「名選手名監督にあらず」という言葉があるようですが、占いも似たところがあると思います。
占いがめちゃくちゃ当たる人でも仕事にしてうまくいくかは別だし、占いを完璧に勉強やマスターした人が仕事にできるかも別。
めっちゃ心が優しくて、お客様にとことん寄り添う人が仕事にできるかというのも別。というよりそういう人は意外と仕事にするのは難しいところがあるのではないでしょうか。

逆にすごく売れている人、人気のある人が人柄的に素晴らしいかというのも決してイコールではないとも思うんです。

 

 

何が言いたいかというと
「それぞれみんな合うフェイズがある」
ってことですね。
なんでもやってみないとわからないけれど(いやその前に考えればわかることもあるかもしれないけれど)選手で大活躍したけど監督はうまくできない人もいるし、選手としてはそれほどではなくても監督やコーチだと光る人もいるでしょう。
もちろんどっちもできる人は稀にはいるかもいれませんが、ほとんどの人が「ああ、こっちのほうが合うんだな」と後でわかるだけ。
私もここまでやって「ああ、そうだったか」と自分について思うことは山ほどあります。

 

別に無理にあがく必要も、無駄に自分を卑下する必要は無い。
足るを知り、自らに合うフェイズでやっていくのが幸せではないでしょうか。
占いの仕事についてもそんなことを考えたりします。

 

 

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