先日、医療職の人と「不登校」について話す機会がありました。
私は子供が3人いますが(もう皆成人です)不登校まではいかなくても登校を渋り攻防を繰り広げた期間も結構ありました。不登校は全く珍しくない時代になりましたがやっぱり子供には「学校に普通に行ってほしい」と願う親が大多数ではないかと思います。

 

ちょっと話は違うのですが、うちは次男が小さい頃は発達が遅く(体は大きい)特に言葉が遅くぜんっぜん喋らなかったのです。
1才くらいにはもう色々遅れがわかっていたので市のそういう子が集まる教室など色々連れて行きましたが、こちらの言っていることは完全に理解しているようなのに3才近くなってもサッパリ喋らない。教室のほかの子たちは一緒にやっているうちに少しずつ喋れるようになっているのに・・・

つい
「上手とかすごいなんて言わないから、せめて普通というか、人並みに・・・」
という思いが口をついて出て、はっと冷静になって
「普通って、なに?」
と思わず自分に突っ込んでしまいました。何がどうなのが人並みなのか言った私だってわからない。
普段は「普通」とか「人並み」なんてそんなことあまり気にしないわ、なんてスタンスで生きてても、いざとなるとそういうわけのわからない基準が隠れているのがバレてしまうものですね。ガックリしました。

 

今の自分に「もっと普通にしなさい」とか誰かに言われたら「は???」としか思えないのに、家族、とくに子供には剝き出しの自分が出てしまうことがあります。人にはそれぞれの当たり前があるってことが吹っ飛んでしまう。
学校だってもちろん「普通に行ってほしい」と願ってしまいます。そもそも自分の時と社会背景も違うし、環境も違うし、血縁関係があるかもしれないけど他人で全く別の人だし、「普通」とは一体何でしょう。正体不明の普通オバケですよ。でも心から離れないんだよな~~~

 

占いを学ぶと「人は本当にみんなそれぞれなんだな」ということがわかりやすく腑に落ちます。これはすごくいいことで、占いは私に大きな気付きを与えてくれました。
でも普通オバケはなかなか消えませんね。一生住み続けていそう。
結構みんなそうじゃないかな?どうですか?

 

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