若い人達を見てると素直に「若いって素晴らしいな」としみじみします。
まあうちにもいまして大車輪の如く駆けずり回って大丈夫かと心配になるくらいですが、若さのパワーには目を見張るものがあります。自分にもこんな時があったのでしょうか。

 

反面、若さゆえの脆さと言うか、未成熟さもダイレクトに感じます。不満や不足を感じやすいけと、それをどう解消していいか分からなくてイライラしたり当たったり。若さは傲慢です。
こちらは私は心当たりがあり過ぎます。若い時は大なり小なりこんなもんじゃないでしょうか。いや私はピチピチなシーズンをとっくに過ぎても結構引きずってましたな、と思うと若者の暴れぶりもまあ台風みたいなもので過ぎるのを待つしかないなと多少冷静になれます。
たまに「若い時に戻りたい」という方がいますが私は遠慮します。もし神様が戻ってやり直せと言われても全力でお断りします。

 

「こうあるべき自分」と「あるがままの自分」の差が大きいとモヤモヤするんだなと思ってます。
すごく矮小な例ですけど「せっかくのお休みでもっと有意義に使いたいのに1日寝ちゃって自分がイヤ」みたいな感じ。
自分の敵はなぜか自分なのです。若いうちは「こうあるべき」が無意識のうちにレベル高めに設定されてますね(そこが傲慢)

 

以前、と言っても40才前後くらいの話ですが、ある人に「もっと自分をほめていいよ。朝決まった時間に起きて偉いとか、ご飯食べて偉いとかそのぐらいでもいいんだよ」と言われました。何バカなこと言ってんのこの人・・・って正直引いてました。当たり前のことをできて偉いなんていわれても何も嬉しくはないじゃん!!!もっとこう、ちゃんと何かできてることじゃないとって思ってました。
しかし今の私からするとちゃんと起きるのも偉いし、ご飯だって買うなり何なりしないとそこに無いんだからもうそれだけで偉い。めちゃくちゃレベルが下がりましたね。ここまで生きてきただけでも褒めることがゼロということはありえません。もう同じようなことをお客様に言ってる説もあります。
年をとって生物学的に衰えて行くと自分や生きることに対するハードルがだんだん下がる気がします。若い盛りのときは不遜です。

 

諦めなのかもしれませんが、「諦める」という言葉は「あきらかにみる」から来たという話もききます。
自分は敵かもしれませんが、自分と一番長く付き合って一番良く知っているのも自分なのです。出来なかったことばかりではなく出来たこともあきらかに見ないと片手落ちですね。
「こうあるべき自分」と「あるがままの自分」の差を埋めてくれるのは時間と自分自身だけなのかもしれません。いま「自分の敵は自分」という人もそれは永遠の話ではないので少しずつでも進んでいければよいのではないでしょうか。

 

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