ある作家が図書館の本引き取りコーナーを見つけ、これはいいと自宅からせっせと本を運びました。そこに置かれた本は誰でも自由に持って行っていいことになっています。そして数日後、ブックオフで自分の元蔵書が並んでいるのを目にして、複雑な気分になったというのを読みました。ブックオフで二束三文に売り飛ばすのがいやで、図書館なら本好きな人の手に渡ると考えたからでしょう。

本好きで知られる作家だから、その気持ちもよくわかります。

しかし、一度自分が手放したものは、すっぱりと忘れるべきです。「神様のバナナ」というエピソードを思い出しました。

アメリカ人のスピリチュアル系作家のアラン・コーエンの日本人向けの本を書いたことがあります。その時、アランが「神様のバナナ」という話をしてくれました。

バリ島のヒンズー教の寺院ですばらしい儀式が行われます。信心深いバリの人々はどっさりとお供え物をします。しかし、儀式が終わると山から猿が降りてきて、せっかくのお供え物を食い散らかします。

厳粛なキリスト教会に慣れている欧米人にとってはショッキングな光景で「せっかくのお供え物が猿に食べられていいのですか」と現地の人に質問します。

現地の人の答えは「私たちは毎日こうしています。神様に捧げたものは神様のもので、私たちがどうこうするものではありません」。

こう考えられたら、どんなに楽でしょう。

断捨離でむずかしいのは人からのプレゼント。せっかくの好意で贈られたものをゴミ袋に突っ込んでいいものか。

すべては神様に捧げたバナナだと考えればいいのです。私が受け取って感謝した時点で完結していますから、あとはどうしようといいのです。

そして、自分から誰かに与えた物や精神的エネルギーも、与えた時点で完結しているのです。愛は見返りを求めません。

ラム・ダスの「ビー・ヒア・ナウ」では、カルマ・ヨガ(薪を割ったり、水を汲むなど日常生活でのヨガ)をこう定義しています。

Do what you do.
But dedicate the fruits of the work to Me.
あなたのやることをやればいい。でも、その仕事の実りを私=神に捧げなさい。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事