易の本を読むと、「変易」と「不易」という言葉が出てきます。易は変わるけれど、変わらない。禅問答のようですが、すべてのものは刻々と変化を続けているけれど、そこには法則性があるという意味です。

春になれば桜が咲くけれど、去年の桜とまったく同じではありません。プロ野球は毎年、同じころに開幕しますが、新人がいたり引退して球界を去った選手もいて、メンバーは微妙に入れ替わっています。

 

人間も変わるけれど、変わらない。そんなことを思ったのは、橘玲が、ある友人のエピソードを書いていたから。

一度だけ友人にお金を貸した。最初から返してもらうことを期待していなかったので、そのままになっている。

その友人は家庭も仕事もうまくいかず、人生をリセットするために旅に出たいと言う。3カ月かけて車でオーストラリア大陸を縦断し、誰もいない真夜中の砂漠で赤い月とともに踊り明かすのが旅の目的。かなりの金額だったけれど「人生が変わるかどうか知りたい」という好奇心からお金を貸した。

帰国後、友人の生活はさらに荒れて家庭は崩壊、仕事も行き詰まった。風の噂ではインドを放浪している。

人の金を当てにして旅に出るという前提からして間違っていると突っ込みたいところですが、気持ちはよくわかります。

私自身、会社をやめてフリーランスになる前に、3カ月間アイルランドを放浪しました(もちろん、自分の貯金です)。そして現在は、老いと死を迎えるために7週間のスペイン巡礼を計画しています。

旅に出たからといって、人生ががらりと変わるものではありません。どんな経験を積もうとも、人格の根幹部分はそのままでしょう。

ただ、旅を通して世界の見方は変わることがあります。大がかりな海外旅行でなくても、影響を受けて行動パターンが変化します。

先月の熊野古道で変わったのは、初めて会った人にも心を開こうという気持ち。なるべく人との接触を避けていた頃なの3年間で失われてい姿勢です。開運記事とかに「オープンな態度でネットワークを広げましょう」とよく書かれていますが、文字面を追っただけではなかなか実行できません。やはり実体験があってこそ「こんなふうに生きたい」というイメージが明確になります。

占いの活用法も旅と同じ。占いで得たヒントによって、行動を変えるから展開が変わるのです。占いをしてもらっただけで人生が変わるわけではありません。

 

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