月に一度の新宿東口の献血ルームの占いボランティア、気がつけば半年になりました。

コロナの影響で企業や学校に献血車を差し向けての集団献血ができなくなり、深刻な血液不足だそうですが、献血ルームは予約してくる方が大半で、静かな雰囲気です。

先日、占いコーナーで私の前に座った50代の女性。

占いというより、最愛のお母さんを亡くして後悔ばかりしているというお話でした。

施設に入れたけど、はたしてそれでよかったのだろうか。私が実家に戻り在宅介護という選択肢もあった。子供も独立したし、やろうと思えばそうできたのに。自力でトイレに行けていたのに、施設ではおむつをあてがわれて寝たきりになってしまった。そしてコロナで思うように面会もできなくなり…。友人たちも親を亡くす年齢になってきているけれど、私ほど親の死を引きずっている人はいないように思う。だから誰にもこんな話ができない…。

涙を流しながらひとしきり話して、「聞いてくださってありがとうございました」と去って行きました。献血できるぐらいだから健康状態は良好で、傍目には親の死から立ち直っているように見えます。でも、心の中に悲嘆の念が渦巻いていたのでしょう。

 

中華街の占いの店に座っていた頃、「客が占い師を選んでいるようでいて、実は占い師が客を選んでいる」という話を聞いたことがあります。

あのお客さんの話を聞きながら、癒されているのは私のほうだと思いました。2月に亡くなった父は、最期まで頭はしっかりしていたし、88歳という年齢は世間で大往生と呼ばれるでしょう。できる限り自宅で自由に暮らし、亡くなる前の数か月だけ施設にお世話になりました。母が亡くなったのと同じ施設で、スタッフの方々とも顔なじみ。これ以上望めないほど介護と看取りをしていただきました。コロナで病床がひっ迫していたこともあり、延命治療で苦しむこともなく安らかな最期でした。

頭ではそうわかっている。でも心の中ではあと数年数年ぐらい父が元気に生きているはずでした。たまに父の夢を見て目覚めると、死んだのが夢で神戸で元気に暮らしていると一瞬だけ思います。そして夢だったとわかります。こうしたことを繰り返して、親の死を受け入れていくのでしょう。

あのお客さんは、私が呼んだ、私のために来てくれたんだという思いで胸がいっぱいになりました。

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