アメリカ人は「コンフォート・ゾーン踏み出す」という言葉が好きです。

渡辺由佳里『アメリカはいつも夢見ている』では、コンフォート・ゾーンを「ストレスやリスクを最小限にできる行動パターンを維持できる領域」すなわち「居心地が良い場所」と定義しています。

そして、宇宙飛行士のアラン・ビーン氏のエピソードを紹介しています。

 大学で航空工学を学びたかったが家庭にはそんな経済的余裕はなかったビーン氏は海軍からの奨学金を得ることを考えた。猛勉強をしたのだが、奨学生を決めるテスト当時の朝になってから難易度と倍率に尻込みし、毛布を頭からかかぶって寝たふりをしていた。

「どうせ、自分なんか努力しても無駄。自分に才能がないことを思い知らされるくらいなら、行かないほうがまし」と自己憐憫にひたっていたらしい。そこに母親がやってきて、毛布を引き剝がし、息子を車に乗せて試験会場に連れて行った。

過保護のお母さんかと思いましたが、息子の人生に介入したのはこれが最初で最後だったそうです。ビーン氏はテストに合格し、テキサス大学で航空工学を学び、海軍のテストパイロットを経てNASAの宇宙飛行士に。アポロ12号のパイロットとして月まで行きました。

さらに著者自身の例。ブールのない田舎の小学校に通ったので泳げません。アメリカ人の夫、デイヴィッドは幼いときから会員制のカントリークラブやヨットクラブで泳ぎ、ウォータースポーツが大好き。

ビーチに座り込んでサーフィンを楽しんでいるデイヴィッドを眺めながら「あなたは恵まれているからいいよね」と文句を言い続けるのは、ある意味私にとって「コンフォート・ゾーン」だった。溺れる心配もないし、失敗して自己嫌悪におちいるリスクもない。

何かに失敗して引きこもったり、失恋して「もう二度と恋はしない」となるのもコンフォート・ゾーンですが、心の中はあまり快適でないのでは。たしかに失敗や失恋で傷つくことはありませんが、「本当の自分はこうじゃない」という思いにさいなまれます。

 

占い学校に通っていた頃、何年も講座に出続けている人がいました。趣味として占いを学んでいるのなら問題はありませんが、「占い師になりたいけれど、まだ準備が整っていない」と逡巡しているのです。「幼い頃から不思議な力に恵まれ、ぴたりと当てていた」という霊能者でない限り、お金をいただいて鑑定する場に出るのは緊張するものです。でも、そこを乗り越えなければ一生、鑑定はできません。

いきなり占いの館に座るのはハードルが高いので、お祭り的なイベントでやってみるのもいい方法です。私の占い師デビューは、阿佐ヶ谷のスターロード商店街フェスティバル。常連だった中華料理店のママに頼まれ、店先に机を出しワンコイン500円で占いました。その話をした美容室から「阿佐ヶ谷七夕祭りの時に、ぜひうちの店で」となり、店が大きく期間も長いため、つてを頼って占い師を集めました。そのプロセスで、中野トナカイの玉紀さんにつながったのです。

私がウラナイ8のサイトでこれを書いているのも、コンフォート・ゾーンから一歩踏み出したから。取材していた占い師の先生は、執筆やメディアへの顔出しがメインで対面鑑定は卒業したという人が大半だったのと、雑誌の占いは外れても読者が編集部までクレームの電話をかけてくることはまずなかったからです。「私が占いを学んでいるのは、占いの記事を書くため」というのが私のコンフォート・ゾーンだったのです。

 

『アメリカはいつも夢見ている』は開運の書。ウラナイ8ブッククラブでは、占い師にも役立つ人生相談の極意を紹介しました。玉紀さんが『BTS、ユング、こころの地図』を書いてくれたおかげで、読書の楽しみが増えました。占いが好きで本も好きでブッククラブにまだ登録していない方は、この機会にぜひ。読むだけの参加も大歓迎ですが、コンフォート・ゾーンから踏み出して、お気に入りの本を紹介していただけるのもお待ちしています。

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