ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』の舞台は1880~1930年の南米コロンビア。他の男に嫁いでしまった恋人を想い続ける男の物語です。思いが成就するのは51年9カ月と4日後。70代になったかつての恋人たちを乗せた蒸気船はコレラ患者の死体が浮かぶ川をゆっくりと進みます。

半世紀以上も待ち続けることができたのは、二人の接触がほとんどなかったから。どんなにときめいた相手でも、結婚して長い時間を一緒に過ごすうちにうんざりすることもあるでしょう。

 

「コロナ離婚」という言葉がよく聞かれます。パートナーに飽きて気に入らないところがあっても、日中は別々でなんとか関係を維持している夫婦。外出自粛で一日中顔を突き合わせているうちに離婚を決意という流れでしょうか。

日本では家事をまったくしない夫にうんざりする妻が多いようです。自宅にこもるなら「かさ高い」男は勘弁してほしい。

人に対して「かさ高い」という形容詞を使うのは西日本の方言に近い使い方です。体が大きいというより「態度が大きい」「自分は何もしなくて女を顎で使う」に近く、帰宅すればすぐに食事や酒が出てこないと機嫌が悪くなるタイプ。

かさ高い男でも高収入なら結婚相手は見つかるでしょう。仕事ができて頼りがいがあるとポジティブに評価し、多少のことには目をつぶるという女性がいるから。

平時ならそれでもOKです。でも今回のような事態になったら?

家事を全くしない男が一日中家にいて、三食用意しなくてはいけません。かさ高い男がプライドの拠り所にしていた仕事だって、業種によっては大きなダメージを受けます。稼げないのにかさ高いなんて最悪。コロナ禍が起こらなかったとしても、夫が定年を迎えると妻は離婚を考えるでしょう。

 

結婚相手に求めるものは人それぞれでしょうが、私なら「可愛げ」です。恋愛感情はそのうち冷めるし、変化の激しい世の中では経済力もあてになりません。でも可愛げのある人となら、家に閉じ込められても耐えやすいし、貧しい食卓を囲んでも楽しいはず。

これは関西人に強い感覚かもしれません。関西の小学校では、かっこよかったり成績がいいだけの男子はあまりもてはやされません。

関西を代表する作家の田辺聖子もこう書いています。

可愛げというのは、女よりも男に必要な徳目である。
私はいつも不審なんだが、なぜ世の母親は男の子に立身出世ばかり叱咤激励して励まして、可愛げを教えないのであろう。(中略)
母親は男の子のうちに、「女の子にかわいがられるような」愛らしい性質を発見してやり、それを伸ばしていくよう、育てるべきである。
人生の幸福、という点からいうと、学歴よりそっちのほうがずんと比重が重い。

先が読めなく不安な毎日でも、ユーモアを忘れず、一緒にいるとほっとする可愛げのある相手がいれば、乗り切れます。コロナの時代の愛は、そんな相手を見つけるか、自分がそういう存在になることから始まります。

引きこもり生活のお供、ネットフリックスの『クィア・アイ』でファブ5が変身させる出演者の男性たちはダサい生活を送っていてもどこが可愛げがあります。そもそも番組に出演するのは、その人を心配し応援する推薦者がいたからだし、ゲイの5人組のアドバイスを素直に聞くところが本当に可愛い。反対に、出演者の女性たちは勇敢に世間と戦っている人が多く、まさに田辺聖子のいう「男は愛嬌、女は度胸」です。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事