両親を見送って実家との縁が切れ、お正月に帰省することもなくなりました。

寂しいというより、解放された気分です。それは、私の家系が呪われているから。

父によると母の家系には「寺の呪い」がかかっているそうです。母の実家は材木商を営んで羽振りがよく、村の取りまとめ役のような家。村のお寺が会計不正のようなことをして、檀家代表としてさんざん責め立てたため、お坊さんが当てつけのように家の前の木で首を吊ったという衝撃事件があったそうです。

父はなぜそんな家系の女性と結婚したのかと思いますが、父のほうの条件も相当悪い。男兄弟が亡くなり姉が3人、妹が1人。うち2人は未婚で同居、さらにうち1人は姉妹からも「悪魔のような人」と恐れられるようなきつい性格。子ども心に母が相当に窮屈な思いを抱えて生きているのがわかりました。

そして私の世代も、ろくなもんじゃありません。子供のいない伯母二人の相続をめぐっての骨肉の争いは裁判沙汰となりました。どちらの味方もせず争いから距離を置いていた私が一番まともなはずですが、田舎の親戚からは「孫の顔も見せなかった親不孝者」と後ろ指をさされています。

両親が要介護だった時期は毎月、帰省していましたが、来年の父の三周忌をもって実家との縁も切れるでしょう。父の財産相続を放棄して、ほとんど兄が相続したので空き家となった家の後始末も、私の責任の範囲外となりました。

精神世界に興味を抱いた理由のひとつは、呪いの家系の末裔だと自覚したからです。

呪いを解くために瞑想や宗教の講座もいいけれど、結局は「機嫌よく生きる」ことに尽きるのではないかと思い至りました。

特別なことを達成しなくても、毎日機嫌よく生きていたら、呪いの力も及ばないのではないでしょうか。そう思うようになったのは”Living well is the best revenge”という英語のことわざを知ったから。「最高の復讐は、幸福に生きること」。復讐という血なまぐさい言葉の回答がこれなのか! だったら、呪いを解くのもおどろおどろしい手段は必要ないのでは。

 

何十年も前の女性誌の対談で田辺聖子が「機嫌のいい妻は最高の宝である」と語っていたのも印象に残っています。家事は手抜きで料理が下手な妻でも機嫌よく暮らしていれば、文句ばっかり言ってる神経質な妻より夫は心安らぐのです。

 

「親ガチャは、お金がないことでなく、母の機嫌次第」というのをネットで目にしました。お金に不自由していても、いつも母親の機嫌がよければ子供は安心して暮らせます。たしかに。私の母は毒親とまでいきませんでしたが、いつも辛そうで子育てを楽しんでいるようには見えませんでした。私が子どもを持ちたくないと思うようになったのは、そんな母の姿を見て育ったからです。母からは「私が手助けするから子供を産んだら」みたいなことを言われましたが「あんなに楽しくなさそうだったのに、私にそれをやれってどういうこと?」と思いました。

 

最もやってはいけないのは、自分の不機嫌さを武器にして人をコントロールしようとすること。「俺様がこんなに怒っているんだから、なんとかしろ」とカスタマーハラスメントをしている人は、自分で自分に呪いをかけているようなものです。キレる老人は認知症の影響もあるのかもしれませんが、キレるぐらいならボケるほうを選びたい。頭は弱くなっても、いつもにこにこして機嫌のいい老女を目指し、呪いから逃げ切りたいものです。

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