数年前、ヒップホップのクラスの課題曲はミセス・グリーンアップルの「ダンスホール」でした。

インストラクターは歌詞の意味も汲んで踊るように指導するので、曲名を教えてもらったらYouTubeで何度も聞きます。

「結局は大丈夫、この世界はダンスホール」

踊りながら生きている私には大いに共感できる歌詞ですが、私にとってこの世界は地火明夷(ちかめいい)です。

天高く輝いているべき太陽(火)が地下に潜っている状態。夜中の太陽とも読めます。周の文王が明智を隠して暴君に仕えたり、箕子が狂人のふりを難を逃れ志を守り通した故事にちなんだ卦です。一般的にはあまりいい卦ではありませんが、私は好きです。夜の仕事をする人に出たら吉と読むこともあります。

仁多丸久の『周易裏街道』ではこんなふうに解説されています。

さて明夷とは何か、一言にしていえば「石が流れて木の葉が沈む」です。学校を出るともう学校時代の成績順でずっと行くものではありません。あんな秀才がといわれた人が案外伸びず、あんな奴がと思われていた者が上に立つことが多いものです。

コピーライターから雑誌や書籍のライターに転じ、出版不況前だったので収入的に大いに恵まれていました。株に手を出したら投資の才能があるらしく、買った銘柄はほぼ上昇。こんなにいいことばかり続いてはいけないと考え、地道な社会貢献として日本語教師の資格を取ることにしました。日本語教師になる成り行きを占って出たのが地火明夷。大いに傷つきそうで、経済的にもほとんど期待できないけれど、天邪鬼の私はあえてやってみようと思ったのです。

座学はおもしろかったけれど、授業実習となると散々でした。ライターの習性として人と同じことはやりたくない。マニュアル通りの教え方ではなく自分の個性を出そうとして外国人にはまったく伝わらずすべってばかり。「おいしいです」「おいしかったです」といった紋切り型の表現を使わずにおいしさを伝えることを追求していたのに、外国人にわかりやすい定型文を使っているうちに本業の執筆がおかしくなり編集者に注意される始末でした。

そして勤め始めた渋谷の日本語学校がヨーロッパ系だったので、教師は完全にサービス業。学生からの評価が低ければ来週からのシフトに入れないという胃の痛くなる毎日でした。

「出版業界で大活躍した私」というプライドはずたずたに切り刻まれてました。本当につらくて、ダイエットもしなくてもどんどん痩せていったほどで、日曜日が終わり月曜から授業があると思うとどんよりしていました。

母の死をきっかけに休職し、コロナで留学生の来日が激減。そのまま引退かと思っていたら、何度か復職の要請がありました。自分が思っていたほどひどい教師ではなかったのかもしれませんが、ライター時代ほどの評価は得られませんでした。

日本語教師をやってみた大きな収穫は、さんざん拡大していた「私ってすごい」といううぬぼれを粉々にされたこと。「プロのライターに日本語を習う留学生はラッキーですね」と言われたことがありますが、ライター経験は日本語教師にはマイナスでした。

自分のキャリアを否定された経験は、老後に大いに役立ちます。高齢者の施設で嫌われるのは、現役時代の自慢をする人。自分なんてたいしたことないという姿勢こそ高齢者のあるべき姿。年を取る前に地火明夷を体験しておけばクレーマー老人にならなくてすみます。

日産やフジテレビの社員はまさに地火明夷の気分でしょう。ミセス・グリーンアップルの「コロンブス」が、人種差別や奴隷制度を連想させると炎上したのも、いかにも地火明夷でしたが、苦境にあるときの身の処し方がその後の人生を大きく左右します。

結局は大丈夫。傷ついた者だけが、この世界のおもしろさを味わえるのです。

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