NHK朝の連続ドラマ『ちむどんどん』。夫が時計替わりに毎朝テレビをつけているので、私も朝の家事やネットニュースの流し読みしながら見ています。

あまりにも安易に偶然を重ねて問題を解決するシナリオ。何のつてもなく料理人を目指して沖縄から上京した女の子が、たまたま街角で聞こえてきた三線(沖縄の弦楽器)の音がする家に。そこは鶴見の沖縄県人会の会長の家で、知り合いのイタリア料理店に紹介状を書いてくれることに。その店のオーナーはなんと、かつて女の子を東京の引き取ろうとした大叔母だった…。吉本新喜劇でもこんな安直な展開はありません。

ネットではかなりの不評で、SNS上の鋭い突っ込みを読むのがおもしろくて、今では熱心な視聴者に。そして「デウス・エクス・マキナ」という言葉を目にしました。古代ギリシャ劇では大混乱な状況に陥った時に、絶対的な存在(デウス・エクス・マキナ)が現れ一瞬のうちに問題を解決して物語を収束させるという手法です。

「ちむどんどん」はこの手法を多用します。

主人公の姉は保守的な家に嫁ぎ、仕事をすることに反対されていました。夫と別居してまで抵抗し、婚家から離婚を迫られますが、突然現れた沖縄のおばあの鶴の一言で解決。

そして、主人公が勤める料理店への反社の嫌がらせも、沖縄県人会長が反社の親分の恩人であったことがわかり、一気に収束。

 

「デウス・エクス・マキナ」は古代ギリシャの時代から、戯曲の禁じ手として不評だったようです。現代でも使われているのは「これさえ頼れば万事OK」という存在を心のどこかで欲しているからではないでしょうか。「難関大学に入れば…」「FIREできる資金さえ貯まれば…」「この神だけ信仰していれば…」と、視野を狭くして人生の選択を誤る例はたくさんあります。

人によっては占いが「デウス・エクス・マキナ」となります。「この占い師の言うことだけ従っていれば幸せになれる」というのは思考停止です。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事