SNSで「大嫌いな人は性格が合わないのではなく、自分が死守してきたルールを平気で破る人」という一文を目にしました。
日本人は「人に迷惑をかけてはいけない」と教え込まれて育ってきたので、行列に割り込む人を嫌います。一方、「人に譲っていたらいつまでも順番は回ってこない」という国の人は、強引に割り込んで悪びれません。
必死に自分が律してきたことを平気でやってしまうインバウンドの観光客にヘイトが集まるのもしかたがないことなのかもしれません。
「自分はこんなに我慢しているのに、あいつはずるい、不公平だ」と不満を抱く前に「自分は何を禁止しているのか」を考える手がかりにしてみてはどうでしょうか。
昨年のインナーチャイルドカードの会で玉紀さんが「嫌いな人について語るのは、自分について語るのと同じ」といった意味のことを話しました。
以来、ムカつくたびに「なぜ嫌いなのだろうか」と自省するようにしています。
自慢する人が嫌いなのは、私も自慢したいから。自分語りも同様。水商売やカウンセリングなどでは自分語りに対価を払っているのに、無料で聞き役にされたら腹が立ちます。私も隙あらば自分語りをしたいのです。
無条件に母親に甘えたり、仲のいい母娘は嫌いというより胸がざわつきます。自分は母親にそれほど愛されなかったから。きょうだい仲がいい人も同様。私には最悪のきょうだいしかいないから。
反対に夫婦仲や仕事運、金運のいい人に対してはあまり何も思いません。今の状態に満足しているからでしょう。
「好き」を追求するのも大事ですが、「嫌い」を無視してはいけません。「好き」よりも「嫌い」のほうがあなたを正確に写す鏡となります。














