「占い師は自分のことを占えるのか」は占い界の永遠のテーマです。

金運上昇の兆しがあれば、がんがん強気で動いて財を得られるはずですが、お金に縁のない占い師も多いのです。財は占いの腕より金運の器の大きさで決まるので、貧乏な占い師だからといって信用できないわけではありません。

そして、人のことなら冷静に分析できても、自分のことはバイアスがかかって判断が歪みがち。

そんなことを改めて悟ったのが12月の易の読み会です。

知り合いの広告会社社長が、肺気腫を患って闘病生活を続けていました。60代前半の男性ですが、幸運なことにドナーが見つかり、移植手術を受けたのですが経過が思わしくなくエクモを装着。病院からは「日本ではこれ以上できることはない」と宣言されたそうです。

仲のいい家族で、社会人と大学生の子どもが3人いて「最愛の父の命を助けてください」とカタールでの肺移植のためのクラウドファンディングを立ち上げました。

ワールドカップが開催されたカタールです。お金が集まっている国なんでしょう。外国人労働者が事故で死んで臓器のストックもあるから、世界中から臓器移植を請け負っているようです。しかし、海外の臓器移植って、小さな子供の命を救うためにやむをえずというイメージなのに、60代のおっさんのために? 姥捨て山に送られるのは60歳だというのに。私だったらさっさと死んだほうがいい。エクモを装着して海外に行って移植手術を受けるなんて、とんでもなく苦しいことだろうし。莫大な無駄金を使ってほしくありません。

この社長にはさんざん世話になりました。ギャラの高い仕事を回してもらったし、後輩を無理やり入社させてもらったこともあります。しかもその後輩、後ろ足で砂をかけるように退職して、すっかり迷惑をかけた相手です。

相場で儲けたあぶく銭があるなら、趣旨に賛同できなくてもクラウドファンディングに協力すべきなんじゃないか。いやいや、いくらお金があって寄付するとしても、それは若い人のためでありたい。お金を出すなら、お見舞金として包む…といった思いが交錯しました。

「私はどうするべきか」を杏子さんの易の読み会のお題にしてもらい、私が得た卦は山天大畜(さんてんたいちく)の初爻。まさに私の蓄積した財ですが、初爻は「やめたほうがいい」という爻辞です。しかしこれでは、単に貯め込んでいるだけのケチでは?

ゆみこさんの出した卦ですっきり解決しました。

天雷无妄(てんらいむもう)の五爻。薬を用いることなく、自然に任せよ。

易を始め、卜術はおみくじではありません。この卦、このカードが出たらこういう解釈が決まっていたら、占い師は必要ありません。占的に応じて、どう読み解くかが卜術の醍醐味。だけど自分のこととなるとバイアスがかかって、つい都合のいい読み方をしがちです。そんなバイアスを補正するために読み会は絶好の機会です。

広告会社の社長は、易の読み会の翌日に亡くなりました。四十九日が過ぎて、私もこの文章を書くことができました。海外で移植をしたいという子供たちの願いは純粋な思いから発したことでしょうが、周囲を巻き込むことではなかったし、私も傍観していればよかったのです。

 

父の最期も思い出しました。

2021年1月、コロナで兵庫県の医療がひっ迫している状況だったので、救急車は呼ばず施設で看取ってもらいました。高度治療を受ければ少しは命が延びたかもしれないけれど、父も望んでいなかったことだと思います。

ゆみこさんからいただいたお線香を実家の仏壇にあげたとき、死はどの家にも起こりうることなんだと納得できました。

「ラベンダーの香りとキサー・ゴータミー」https://bob0524.hatenablog.com/entry/2021/04/10/201218

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事