フランス語に「選んだ孤独はよい孤独」という言葉があり、とても気に入っています。コロナで不自由を強いられることが多いのですが、一人で行動することが奇異の目で見られず、むしろ推奨されるようになったのは、うれしいことです。
そしてサウナも一人が前提です。友人同士でつるんでサウナ室と水風呂を同じタイミングで出たり入ったりするのは「ドラクエ客」と呼ばれます。勇者と戦士、魔法使い、僧侶などが一列になって歩く姿に似ているから。サウナ―からドラクエ客が嫌われるのは、サウナや水風呂の滞在時間は個人によって違うのに、人に合わせているから。それではサウナと水風呂のよさは味わえません。真のサウナーは自ら孤独を選ぶのです。
山内マリコに「選んだ孤独はよい孤独」というタイトルの短編集があります。
山内マリコを読むと、今の若い世代は若いなりに大変なことがわかります。
サッカー部で活躍する男子高校生を主人公にした「さよなら国立競技場」。一つ上の学年が国立競技場で奇跡の優勝を遂げたため、次の年のキャプテンとして非常にやりにくい立場になったという話。
先輩の優勝戦は残り5分まで0-0。ゴール前にパスが来て弾いてしまったのに、そのままゴールネットに吸い込まれ、決勝点となります。
サッカーの試合では、時たまこういうことが起こる。絶対入るだろうというシュートがバーに当たったり、逆に子供が蹴ったようなへなへなのシュートが、キーパーの目を盗んでゴール一直線に転がって入ったりする。それはもう神の領域だ。ぼくらにはどうしようもない力が働いているとしか思えない。毎日毎日練習を重ねても、結局は理不尽なまでの偶然性で決着がついたりする。
そう、理不尽なまでの偶然性。私が阪神タイガースの試合に夢中になるのは、その瞬間が見たいから。プロのスポーツ選手は持って生まれた身体能力や練習の積み重ね以上に偶然性に左右されます。
そして次の一節に開運の極意が凝縮されています。
だからぼくたちがすべきなのは、ドリブルやパスやセットプレーの練習じゃなくて、神様に嫌われないようにするための努力なのかもしれない。
雑誌の占い原稿では、個人の運勢よりも開運について書くことが多いのですが、部屋の方位に合わせて開運グッズを置いたり、吉方に出かける前に、「神様に嫌われない努力」を。秘法を使って開運したところで、神様に嫌われては何にもなりません。神様に愛される努力となると、ぐっとハードルが上がりますが、嫌われない努力なら少しはできるような気がします。