東洋占術では幸・不幸には「禍福」と「成敗」の二種類があり、禍福は個人的な満足であるのに対し、成敗は社会的な名誉だと考えます。成敗には恵まれたけれど、禍福はまったく満たされてないという人生、あるいはその逆もあり得るわけです。

そして安岡正篤によれば、「幸」と「福」も定義が異なります。

「幸」は外部から与えられたもの。たまたまお金持ちの家に生まれたとか、うまい巡り合わせに乗れたという状況。一方の「福」は自分の努力によって勝ち得たもの。「福」という字のつくりは俵を積み上げた状態で、しめすへんは神事を表しますから、神の前への蓄積を指すのです。

 

酒井順子の『消費される階級』にも、平安時代には、「幸(さいわ)い人」という言葉があったとあります。す。「幸」とは、思いがけなく得ることができた幸運を指し、それほど身分の高くない女性が身分の高い男性から見初められることが「幸」であり、そのような女性を「幸い人」と呼んだそうです。

 

これまでの人生を振り返って「幸」と「福」、どちらが多いですか?

私の場合は圧倒的に「幸」。日本語の文章を書くことで原稿料がもらえるという特殊な時代に働き盛りが重なったという「幸」。株式投資の勉強をしたわけでもないのに、好きな時に好きな場所に旅に出られる自由を手にしました。こんなにうまくいっていいものか、時々こわくなります。

というのも、安岡正篤の「幸」「福」を紹介していたのは植島啓司『偶然のチカラ』には、「いざというとき頼りになるのは、先天的に与えられたものではなく、自分のチカラによって獲得されたものだけだというのである」と続いているからです。そして、「福」は多くの人と交わるなかで初めて養われるものであり、そのためにはいつも自分が多くの人々に向かって開かれていることが必要だと書かれています。

 

来月9日から開催される「阿佐谷七夕ウラナイまつり」。地元のスポーツクラブのダンス仲間が2階にレンタルスペースのある「すきまホール」というお店を始めたことで実現しました。私は案内や雑用係ですが、このイベントに関わることが「福」につながると考えたのも発案のきっかけです。「必ず儲かる!投資セミナー」で高額の受講料を集めるための人脈作りなどという下心があれば「福」にはなりません。もしこのような怪しい話を私が言い出したら認知症の症状が出始めたので絶対に参加しないこと!

七夕ウラナイまつりは初めての試みなのでお客さんがどのくらい来るか未知数ですが、このイベントに関わるすべての方にとって「多くの人々に向かって開かれる機会」になり「福」を手にすることを願っています。

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