墓碑銘に「無」の一文字を選んだ小津安二郎。鎌倉・円覚寺の墓には何本もの日本酒と煙草がひとつお供えされていました。フィンランドのアキ・カウリスマキは小津映画を観て文学から映画に転向。そしてカウリスマキ映画によって私はフィンランドの魅力に気づいたのです。

小津は1903年12月12日に生まれ、ぴったり60年後の1963年12月12日、還暦を迎えたその日に死去。なんと鮮やかなんでしょう。

小津安二郎よりは長生きするだろうと、終活を先延ばししてきました。子どものない身には必須なのですが、生まれつき丈夫で病気知らずのため、死はあまりにも遠いものだったのです。

昨年、母を送り、その死を悼む暇もなく各種の手続きに追われました。現代の日本社会では、一人で死ぬことはできない仕組みになっているようで、残された者が煩雑な後始末をせざるを得ません。スポーツクラブのピラティスのレッスンで、長年のつきあいのインストラクターは「死ぬまで元気でいて、自分の足で棺桶に入ろう!」とはっぱをかけますが、無理な延命をせず自然死を選べたとしても、それから先は生きている人の手をわずらわすしかありません。

母の死の後始末をしながら、「私が死んだら誰がこれをしてくれるのだろう」と不安になりました。夫はいますが、私より2つ上で平均寿命からすれば私のほうが残される確率が高く、私以上に夫は事務処理が苦手。そして、認知症になって生き続ける羽目になれば、どうなるのでしょう。

上野千鶴子が唱えるおひとり様の終活は「任意後見と身上監護、死後事務委任」の三点セット。海外に出て飛行機に乗ることが多くなった40代から用意しているとのこと。なるほど、旅先の不慮の死ということだってありえます。いざという時に動いてくれる組織を探すことから私の終活は始まりました。

占いでは生を受けた日が重要ですが、この世を去る日も同じように大切で、そのために準備しておくにこしたことはありません。ということで、終活の覚え書きをここに綴っていきます。

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