有名占い師、今注目の占い師の皆さんの生の声を聞きに行く「占いインタビュー」
占いの世界で様々な形で活躍している方々に、「どうして占いの道に?」「どうしてそういう仕事の形態に?」などの色々な質問をしていきます。

今回のインタビューは、吉祥寺を中心に西洋占星術、タロット、水晶リーディングなどの鑑定や講座で活躍されている吉田結妃(よしだゆき)先生です。
今回は2回目です。どのような活動をたどって現在に至ったかを伺いました。
(夏瀬杏子)

VOL.1はこちら→

 

吉田結妃先生 プロフィール
神奈川県生まれ。2008年より占いプロ活動スタート。
イメージと言葉の結びつきを求めてサビアンシンボル360個の詩文を絵にした「サビはん絵本」と「サビはんカード」を制作。
サビアンシンボルをもっと深めていきたいです。
HP:「絵でわかるサビアン占星術」→
「吉田結妃の西洋占星術・タロット鑑定と講座 吉祥寺」→

 

どのように占い師としての足場を固めたか伺いました

あんこ
東京に引っ越してからはどんな生活でしたか?

吉田先生

基本的には派遣社員をしていましたが、当時は絵本作家になりたくてそういう講座にも行ってみたり、実際描いたりしていました。

 

でもお金もギリギリだし、月曜から金曜まで働いて、土日に占いの講座に行ったりして、そんなことやってると絵を描くって疲れちゃってできないんですよ。
こんな生活はよくないなぁと。

あんこ
お話を伺っていると、なんというか、パワーがあってバリバリ動くってタイプじゃないですよね~

吉田先生
本当にそうなんですよ。
それでもうそろそろ限界だな~と思っていたころ、また自分の作品展をしたんです。この時はタロットをアクリル画を描きました。 

この作品展終わったら派遣で仕事するのはもうやめて、実家帰ろうかなと思っていたぐらい限界でした。でもその個展の時に高校の友人がたまたま来て、「うちの会社でバイト募集してるから来なよ」って言ってくれたんです。

 

それでその友人が働いている会社に友人の顔パスで入れて、経済も気持ちも安定しました。

あんこ
その会社は給料が良かったんですか?

吉田先生

お給料はすごい良かったわけではありませんが、休みが柔軟に取れました。

 

さらにその1ヶ月後ぐらいに、ちょうど松村先生が、代々木の第三の眼のオープンで、占い師を募集するからオーディションやったので、思い切って受けてみました。それで受かってプロデビューしました。

あんこ
それが2008年の5月で、占い師デビューなんですね。

吉田先生
そうです。
デビューしたばかりのころ、私はタロットだけでオーディションでしたから、タロットだけで占っていました。 

当時、私は占星術は自信がなかったし・・・ちゃんときちんとした占星術のリーディングを出さなきゃいけないというピリピリしたムードが今よりも強くあった記憶があります。

あんこ
今は「占い」というものがすごく広がって気軽にはなったけど、その分どうなの?というのもきっと増えたんでしょうね。

吉田先生
占いが、この10年で文化として広まって定着したんですよね。
ちょっとアンバランスな感じはありますけど。

あんこ
デビューしたお店はわりとすぐにお辞めになったと伺っていますが、その後はどうなさったんですか?

吉田先生

やめても他にいくつか占いできる場所はあったんですよ。パン屋さんの喫茶スペースを貸してもらえたんですね。
あとは近所のヒーリングサロンと吉祥寺の占いハウス。そこで2年ぐらい続けました。

 

でも2010年に同時にパン屋さんとサロンが移転してしまい、メインの場所がなくなってしまったんです。

 

しょうがない、自分で場所を作るかって感じで、そこから吉祥寺で新しい部屋に移って、今のスタイルを築きました。

あんこ
聞いてると、ある日突然道が絶たれちゃうんですね。
パタンパタンって壁が倒れてきて塞がっちゃうような・・・

吉田先生
占星術的に見ると、あーそろそろ一人でやんなきゃいけない時期なんだなぁと思っていたので、道が塞がれるのもしょうがないなと感じていました。
それで思い切ったってところはありますね。

あんこ
じゃあ自宅で、占星術とタロットの鑑定と講座を始めたんですね。

吉田先生
はいそうです。勤めも思い切って辞めちゃいました。

あんこ
それは結構思い切ってますね。

吉田先生

結構無謀なところはかなりあるかな、と自分でも思いますね。追い込まないと馬鹿力が発揮できないだろうなあというところがあって。

 

2010年から吉祥寺で本格的な活動を始めたんですけど、その時はコーチングもやっていてました。
占い師っていうのは怪しい職業の一つだから、どうしても社会的な面から安心マークみたいなものが欲しいなと思って頑張って資格を取ったんです。

 

やっとこれからコーチングと占星術でやれるかな、と合格して2ヶ月後に東日本大震災があって、そこでそのプランがガラガラガラガラって壊れてしまいました。

 

自分が震災の影響をすごく受けてしまい、もうコーチングどころではなくなってしまった。
「みんな結局死んじゃうんだ」という感覚になってしまい、そんな人が他人を勇気付けるなんてできやしない状態でした。

あんこ
震災は本当に多くの人に影響がありましたね・・・

吉田先生

多分少し鬱っぽくなってしまったと思います。これはやばいと思って自分を癒すのでせいいっぱいだったのです。
でも仕事もしなくてはいけないってことでかなり無理してやってしまいました。

 

それで体を大事に扱わなかった結果、2012年に婦人科系を悪くしてしまいました。

あんこ
あー・・・

吉田先生

そこで「ああ、もうこのやり方だと駄目なんだ」と悟って、そこからはあんまり周囲のことを考えずに、自分の体のことにずっと目を向けていたのがここ数年の流れなんですよ。

 

気功をやり始めて体調はすごく良くなりました。

あんこ
そうなんですね。それは何よりです。

吉田先生

体はあまり強くなくて徹夜とかも絶対できないし、ちゃんと環境を整えて心が安定していないとダメなタイプ。

 

競争のあるところ、例えばバリバリな営業に回されたりしたら、たぶん一発でダメになってしまうと思います。

あんこ
じゃあその後からは、ご自分のペースで占いをされているんですね。
実は私そのころ、吉田先生の水晶リーディングのモニター鑑定を受けに吉祥寺に来たことがあります。

吉田先生
えっ、そうなんですか?!全然覚えていないです。

あんこ

確か先生のブログに当時のモニターの記事があったはず(捜索した)・・・→
2013年だから正社員を辞めた直後で占いの勉強を本格的に始めようか、って頃です。
その頃はまだ私も占い師になるなんて思っていなかったのですが、結果の絵が怪しいですね(笑)

 

水晶リーディングはいつごろ始めたんですか?

吉田先生

水晶は松村先生の講座には私は行ってないんですけど、2011年の先生がCD教材を出したのでそれを家でやっていました。

 

でも一人で練習をやってると、リーディングがきちんとできてるかどうかわからないじゃないですか。使えるかわからなかったので封印してたんです。

 

その何年か後に、みかみまき先生→が練習会をやってるって言うから出かけて行ったんです。
みかみ先生の練習会で、ああ、みんなと同じものが視えてる、こんな感じ視て行けばいいんだって分かりました。

 

その頃ですね、吉祥寺の喫茶店でモニターを募集して練習していました。その時夏瀬さんに来ていただいたのですね。

あんこ
視る占術は、一人ではあってるかどうかわからなくてなかなか自信が持てないので、そういう練習できる場があるのはいいですよね

吉田先生
すごくいいですよね。安心します。

 

 

次回3回目は完結編です。

来週の木曜日にアップ予定です。お楽しみに。

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