もう稼ぐ必要はなく悠々自適の引退生活を送れるのに働き続けている男性の話をネットで目にしました。仲間と楽しく飲むためには話のネタが必要で、ネタを得るために働いているのです。女性だったら仕事以外にも話のネタが見つかりやすいけれど、仕事一筋だった男性はそうもいかないのでしょう。男性並みに働き続けてきた私も同じ。違うのは仕事ではなく旅でネタを得ていること。

 

先日、沖縄のコザで占ってもらったのは、ネタが欲しいという下心もあったからです。「伝える」ことがこれからの使命だと言われたのはよかったのですが、老害の三悪「自慢」「昔話」「説教」になってしまいがちです。

ブログやこのデイリーメッセージでさんざん老害を書き散らかしているだろうと言われると返す言葉がないのですが、つまらないと思えばそこで読むのをやめることができるので実害は少ないはず。面と向かった会話で、おもろい話ができているか気になります。

 

関西では「おもろいかどうか」が人を評価する重要な軸です。この場合の「おもろい」は、お笑い芸人みたいなギャグだけを示すわけではありません。

「おもろい」には「役に立つ」「学びがある」というニュアンスが含まれます。おもろい話は、聞く価値がある話です。英語のインタレスティングに近い語感でしょうか。英会話の学習も兼ねてTEDを時々視聴するのですが、キャッチフレーズは"Ideas Worth Spreading(広めるに値するアイデア)"で、まさに「おもろい話」です。

夏休みに短期の語学留学する大学生には「遊んだだけで終わりになるんちゃうの」とツッコミが入りますが、学びたいことが明確で会社を辞めて本気で留学する人には「おもろいやん、がんばって」と励まします。単なる苦労話には使わないので、親の介護、嫁姑のいざこざなどの愚痴は「おもろい」とは言いません。親の介護からヒントを得て新たな商売を始めたとか、姑を逆襲してこらしめたのなら、おもろい話となります。

おもろない話を延々と聞かされるほど苦痛なことはありません。関西弁で言う「しょうもないこと言い」は、相手の時間を割いてまで話すことかどうかを判断できない愚鈍な人という侮蔑表現です。

ここまで書いてきて、私が鑑定をやりたくない理由がはっきりしました。おもろない話への耐性が低いのです。対面鑑定では気が済むまで愚痴を聞いてもらいたいというニーズがあれば対応せざるを得ません。かつて高円寺の路上に「話の聞き屋」みたな人がいました。10分いくらで話を聞いてくれるのです。ココナラでも「話し相手」「愚痴の聞き役」というサービスが出品されているぐらいです。おもろない話は対価を得なければ聞きたくないというのは関西人だけでなくみんな同じでしょう。

杏子さんが水曜日のデイリーメッセージで2週にわたり「占い師に向いている人」について書いていますが、私だったら「仕事と割り切っておもろない話を聞ける」能力を加えます。

 

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