ケン・フォレットの『大聖堂』で思い出したのが和田竜の『村上海賊の娘』。

舞台は天正4(1576)年、信長と大坂本願寺の戦い。

『大聖堂』では、伯爵の長男のリチャードより娘のアリエナのほうが父の才覚を受け継いだのと同様、村上家でも海賊の剛勇を引き継いだのは息子二人ではなく娘の景(きょう)でした。

戦乱の世にあっては、娘は父の財産であり最も有利になる家と結びつくための駒に過ぎません。しかしアリエナの父と同じく、景の父も娘を無理やり結婚させることはなくあくまでも娘の意思を尊重します。

ただし美人で引く手あまただったアリエナに対して、景は悍婦(かんぷ)にして醜女。気が荒い乱暴女の上にブスなので輿入れがなかなか決まらず20歳を迎えます。

とはいえ、この時代の美醜の基準は現代と異なります。醜女と言われる景は長身に長い手足、大きな目に高い鼻の持ち主。対して同い年で美人と名高い従姉妹の琴姫は、のっぺりとして目は細くおちょぼ口、顔の彫りが浅く太り気味と描かれています。

 

大坂本願寺に兵糧入れしたい門徒に源爺という知恵者がいます。

景は南蛮人のようで、泉州の堺にいけば南蛮の女子を美しいと思う者も多いと説き伏せ、景と家臣に大阪まで護衛してもらうことに。そして源爺の言った通りになります。もともと泉州には「おもろいこと」が第一という文化があり、瀬戸内からはるばるやって来た海賊の姫と酒盛りは多いに盛り上がります。

『村上海賊の娘』は恋愛小説ではないので、後半は合戦が中心となってしまいすが、この設定は本当におもしろく読みました。

瀬戸内海沿岸の田舎町に育った私も「ここにいたら絶対に私の人生は開けない」と思うようになりました。勉強はできたほうがいいけれど、結局女に求められるのは容姿、柔順さ、そして料理の腕とか気働き。ドラマや小説で垣間見る都会なら、女だってもっと選択肢がある。幸いにして私の父も娘が嫌がることを無理強いすることはなく、すべて私に選ばせてくれました。

転居とまでいかなくても、自分がみじめな気持ちになる人間関係からはさっさと離れること。職場とか近所の人で離れたのが無理なら、心理的に距離を置いてもっと自分を認めてくれる人を探しましょう。

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