水曜日のデイリーメッセージは、玉紀さんの「心の中のりゅう」。りゅうもいれば、さそりもいます。

さそりを思い出したのは、杏子さんに誘われて、伊豆高原の断食施設やすらぎの里に行った時のこと。

https://bob0524.hatenablog.com/entry/2022/04/23/111926

もう断食は卒業したはずだったのに、杏子さんと一緒に楽しく過ごして空腹に耐えられました。やすらぎの里、一人で行くなら普通食コースにしていますが、占いを語り合える人となら断食にも挑戦できそうです。

改めて感じたのは杏子さんと私は、親しい中だけど、まったく違う。

「ここを出たら何を食べたいか」話から、杏子さんは自宅で揚げ物をするという話に。油の処理が面倒でキッチンも汚れるし、ここ何十年と揚げ物なんてしたことのない私。夫婦二人暮らしなら揚げ物はもっぱら買うものですが、3人のお子さんがいれば家で揚げたてを食べる幸せを家族で共有できます。

 

仏教の本を読んでいると「自分のダルマを生きよ」という話がよく出てきます。

『モンク思考 自分に集中する技術』の著者、インド系イギリス人のジェイ・シェティは仏教に傾倒しインドで僧侶になろうとしました。ところが「俗世で仏教を広めるのが君の役割」だと寺から出されてしまいます。本人は深い挫折感を抱きましたが、師匠の見立ては正しかったのでしょう。瞑想だの巡礼、修道院に興味津々の私ですが、もし出家したらジェイと同じことを言われるはずです。

私は杏子さんのような役割は果たせないし、逆もそう。仏教では人それぞれの役割を「ダルマ」と呼びます。ジェイ・シェティはさそりのたとえ話でダルマを説明しています。

さそりが川を渡ろうとして、かえるの背に乗せてもらうように頼みました。かえるは「君を背負うと刺されて死んでしまう」と断ります。さそりは「なんて理屈の通らない話なんだ! 君が死んだら、僕は溺れてしまう」と説得。かえるは納得してさそりを背負って川を渡るのですが、川の真ん中で背中に痛みを感じます。さそりとともに川に沈みながら「理屈も何もないじゃないか!」とかえるは叫び、「わかっているけれど、やめられない。それがダルマなんだ」とさそりはつぶやきます。

ダルマを変えることはできず、一生を共にするしかありません。それなら自分のダルマは何なのか意識化すると生きるのが楽になります。杏子さんのさそりは全力で子供を育て上げ、私のさそりは旅に出ずにはいられない。一種の開き直りですが、心の中のさそりを見ないふりをしていても、結局は何かを刺すのです。

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