『食べて、祈って、恋をして』は旅好きの私にとって、バイブルのようなもの。

杏子さんが立てた「占いをすることをカミングアウトしてますか」というトピックでもこの本の一節を連想しました。

https://zawazawa.jp/SoloUranai/topic/5

著者のエリザベス・ギルバートは破天荒な生き方をしていますが、姉のキャサリンは常識人で結婚して子どもを育ています。イタリア、インド、インドネシアに4カ月ずつ滞在する計画を立てたエリザベスは、放浪中の荷物をキャサリンに預かってもらいます。

ありがたいことだけど、あまりに長く放浪を続けていると「一族の変人」になってしまうのではないかと危惧します。

五歳の姪っ子の友達が遊びに来て、誕生日を聞くと1月25日。

「あなたは水瓶座ね。水瓶座の人とはたくさんデートしたけど、厄介な人が多かったわ」と口走り、五歳児たちが反応に困り、ちょっと恐ろしいもののように見つめられます。

そこでエリザベスの想像力が爆発し、自分がそうなってしまうかもしれない女性の姿が浮かびます。

 頭のいかれたリズおばさん、ムームーを着て、髪をオレンジ色に染めた、バツイチ女。乳製品は口にしないけれど、メンソールタバコを吸い、占星術師巡りの旅から戻ってきたとか、アロマセラピストのボーイフレンドと別れたとか、そういう理由で家にいる。幼稚園児たちを前にタロットカード占いをして、こんなことを言う。「さ、いい子だから、リズおばさんにワインクーラーのおかわりを持ってきて。そうしたら、このムードリングをはめさせてあげある。この指輪ね、つけてる人の気分によって石の形が変わって…」

ああ、最後はまっとうな市民に戻らなければならない。わたしはそれを誓う。

でも、いまは、いまだけはお願い…。このままでいさせて。

アメリカのドラマを観ていると、占星術を茶化したシーンを目にすることがあります。『ダーマとグレッグ』のオープニングでは、ヒッピーの一家に育つダーマの幼少時代、母親と12星座のエレメント分類を復習していました。『グレースとフランキー』でも、ヒッピー上がりで奇抜な瞑想に凝っているフランキーは「彼はあなたに気があるんじゃない?」と言われ、「そんな、ありえない、彼は獅子座だもの」と即答していました。保守的なエリート家庭とのギャップが生み出すコメディなので占星術がこんなふうに描かれているのでしょう。

頭の固い家系に生まれて占い師を名乗るのは勇気のいることです。幸いにして、私の一族は欲にまみれてすでに崩壊しているため、私の占い好きをどうこう言う人はいません。

それでも、世間が占い師に対して持つうさんくささやいかがわしさは肝に銘じています。占い雑誌のライターをしていた頃、三重県の日本有数の某有名神宮の広報担当に取材申し込みをしたところ「お断り」というけんもほろろの対応でした。上等じゃないか、どうせ天皇家とトヨタを向いているだけだろ、好き勝手に書いてやると闘志を燃やしました。

反対にとても寛大だったのが奈良県の三輪神社。山がご神体だから、自然崇拝でも占いでもなんでもOKとのことでしたが、あくまでも例外。エンターテイメントとしての占いは認めてくれる人がいる一方で、占いなんてうさんくさいと毛嫌いしている人がいることを忘れないようにしたいものです。

そして、どんなに立派な家でも叩けばホコリの出ない一族はいません。一人や二人の変人ぐらいいいじゃないですか。

英語のことわざに"There is a black sheep in every flock."というのがあります。 どの群れにも一頭は黒い羊がいる。言い換えれば、変わり者のいない一族なんて存在しません。どうせ変人なら、占いなんてかわいいものじゃありませんか。

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