よく「自分を大切にする」という言葉を聞きます。
「そんなの当たり前じゃない。私は自分が大好き」という人もいますが、「自分なんて大嫌い」という人も沢山いると思うし、そう思ってしまう時には誰にでもあると思います。でも自分で自分をいじめ続けることほど悲しいことはありません。

 

 

多くの人がそうであるように、若い頃「もーいやこんな自分」ってなることが多々ありました。
調子っぱずれな行動力だけはあったし、今思うとちょっと常識に欠けるところも多々あって、「失敗」「恥」「過ち」はかなり多めじゃなかろうか・・・具体的には書かないというか書けない。
あと「やった後悔」は数あれど「やらなかった後悔」はほとんどない。思ったらやってしまう危険人物。
やらなかった後悔は後々まであとを引くのだろうけど、やった後悔は現実に爪痕を残す。どっちがマシかはわかりません。

 

自分は自分が反吐が出るほど大嫌いなのです。敵みたいなもんだった。
なのにどうやっても自分は自分のストーリーの中では主人公なのです(うまく言えないけど)。やっぱり自分は大事だしよく思いたいし、周りにも認めてもらって愛されたい。

 

 

なのですが、主人公=敵役ってのは矛盾するので相当混乱したことをしていた自覚があります。
何度も自分のブログなどに書いたことがありますが、以前私は気分が落ちると布団で寝られなかったのです。
わざと自分を粗末にするんです。敵を罰するんですね。
でも、例えば家族に「ちゃんと布団で寝なよ」と言われるとムッとしながらも嬉しいところがある。あーこう書くとおかしい人だ・・・

 

 

今はそんなことしない。寝るには布団サイコー!と思ってます。
自分が敵ではだいぶなくなりました。
「大分へんてこりんな主人公なんだけど、まあそういうストーリーもありだよね」
「ダメな主人公だし、ストーリーもイマイチだけど、まあここまで連載(?)が続いているのは褒めてもいいよな」
誰目線かわかりませんが、そんなふうに大分変化した。ある程度は立派なところまでは生きてきたので、時間が色々熟成してくれたのではないでしょうか。

 

 

形から入るのが早いと私は思ってます。
「私って素晴らしい!大切にされる価値があるわ✨」って心から思えれば早いし確実だけどそれができてりゃ苦労はないわという話でして、それなら「私を大切にする」という「様式美」から入るとよいのではなかろうか。
私は「寝るときはどんなにその日落ち込んだ日でも寝落ちしたときでも根性で布団に行く」という様式美を実行しました。こういうのは続けると慣れるっぽくて、最初は抵抗がありますが慣れました。

 

そういう「様式美」を設定してみてください。私は「布団に毎日寝る」でしたが、

 

「テレワークの仕事は○時になったら残ってても明日に回す」とか
「寝る前には食器だけ片付ければOK!あとはグチャグチャでも全て目をつぶる」とか
「1日のうち15分だけはコーヒーを淹れて(買ってもなんでもOK)じっくり味わう」とか
「落ち込んだ時は、1ピース1000円のケーキを買って食べる」とか
「ブラとショーツだけは高級ブランドのおそろいのもの!!傷んできたらすぐ交換」とかでもいいと思う。その人次第。

 

どんなに自分を敵にしたい気分のときもなるべく実行。行動は選べるんだ・・・

ここ数年は「寝る前には食器を全部洗う」もプラス。
子供たちが小さいときは体力的に毎日は無理でしたが(シンクに地層のように食器が重なっているのを朝起きてまず片づけてた)今だとできる。上記の話とちょっと違う形かもしれませんが「エライぞ私!」と思えて寝ることができる。
その時々によってできることは変わるのですね。

 

 

型を作って自分をどろーーっと流し込んで固めていって、「自分大切」というクセ付けをしてしまえばいいと思います。
心ってスライムみたいなもんでしょうかねえ。
まずは自分の身に関すること、生活に関することの「型」からですね。

 

一生、自分が主人公のストーリーは続くので(脳内で脇役になることはありえないし!)ほかの誰の評価でもなく、自分自身が「まあこんなストーリーだったけど悪くなかったよね」思えることで締めくくりたいもんです。

 

以上、参考になれば幸いです。

(今回昔書いたブログを修正して載せました・あんこ)

 

 

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