先日、人相の天童春樹先生のオンラインサロンで対談しました。私には荷が重いので辞退すべきだったのですが、『基礎からわかる易の完全独習』が四刷まで重版できたのは、天童先生があちこちで告知してくださったおかげです。断り切れず、引き受けてしまいました。
改めて天童先生と話すと、同じ占い業界にいても立場がかなり異なることに気づかされます。対面鑑定が主体で「当てる占い」を真摯に追求されている天童先生に対して、私は生きる指針を得たり楽しみのために占いを使うことが多いのです。先週紹介した『占星術大全』の射手座のページによって理想の生き方のイメージを描いたように。
村上春樹は20代の頃、国分寺でジャズ喫茶を経営しながら閉店後に店のテーブルで小説を書き始めました。自分がどういう小説を書きたいかという概略は最初からはっきりしていたと『職業としての小説家』に書いています。
「今はまだうまく書けないけれど、先になって実力がついてきたら、本当はこういう小説が書きたいんだ」という、あるべき姿が頭の中にありました。そのイメージがいつも空の真上に北極星みたいに光って浮かんでいたわけです。何かあれば、ただ頭上を見上げればよかった。そうすれば自分の今の立ち位置や、進むべき方向がよくわかりました。もしそういう定点がなかったなら、たぶん僕はあちこちでけっこう行き惑っていたのではないかと思います。
プロの小説家として作品を書き続ける人は、一般人とはやはり違います。組織で働いていれば、納得できない異動を命じられ、その時々の流れに従うしかないこともあるでしょう。
それでも「自分はこう生きる」という指針は持ちたいものです。北極星のように立派なものでなくても、どうすれば自分が幸せになれるか、満足できるかという基準は意識しておくべき。それがあやふやだと、何に手を出しても「これじゃない」と不完全燃焼となります。
「易は、人のために占って疑惑を断ち切るためのものである」と朱子は述べています。自分が本来歩くべき道から外れそうになったとき、易は強力な指標となります。言わば自分だけの北極星。
そして、易をドイツ語の翻訳したヴィルヘルムはその序文に「未来を占って、それなら私は何をすべきかと問い返したとき、占いは智慧となる」と書いています。
毎年、冬至の日に立てる年筮は一年間の道しるべとなります。そして、生まれ持った命式は生涯を通して目指す道を示しています。出た卦や命式に沿った生き方ができているか、折に触れて常に考え、軌道修正をしていきたいものです。















