アメリカはずっとあこがれの国ですが、アメリカに住みたいかというとちょっと勘弁。スクールカーストの話を聞くと、アメリカの高校生として生きるのは大変だとつくづく思います。

 

アメリカの若者を描いた映画やドラマの中にはスクールカーストを知らないと背景がつかみにくいものがよくあります。

カーストの最上位は、男子ならアメフト選手、女子ならチアリーダー。
映画「サンシャイン・クリーニング」でエイミー・アダムスが演じる主人公は、元チアリーダー。もちろん恋人はアメフトのエースでした。それが今は7歳の息子を抱えたシングルマザーで実家住まい。小さな街ですから、ハウスクリーニングの仕事に向かうと派遣先の家の奥様は元同級生。「あら、誰かと思ったら…」と声をかけられ、屈辱を味わいます。
また映画「ヤング≒アダルト」でも主人公(シャーリーズ・セロン)は、チアリーダーではなかったものの、街一番の美女として高校のプロムの女王に選ばれ、もちろん彼はアメフトのスター選手という設定。37歳になってもカーストのトップに君臨しているままだと思い込んで帰郷し、痛い目に遭います。
日本でも、定年後の元エリート会社員が居場所がなくぬれ落ち葉になってしまうと聞きますが、どれもこれも一つのカーストをずっと引きずっているから、苦しくなるのです。
宗教人類学者の植島啓司先生の本を読むと、世界各地でさまざまな顔を持って暮らす人が登場します。たとえば、バリでは朝は農民、昼はギャンブラー、夜の祭りではガムランの演奏家またはバリ舞踊のダンサーとか。ギャンブルで負けても農作業で取り返せるし、夜の祭りで俗世を忘れてトランス状態になれます。
「一人の人間が一日のうちにさまざまな存在になれる社会こそ豊かであり、そうした豊かさはお金では得られない」と植島先生。
一つのカーストに所属のずっと下層にいる状態は息苦しくてたまりません。かといって世捨て人として生きるのもむずかしい。複数のカーストに所属することで、一つ一つの意味を薄めることができます。
今となっては気の迷いとしか思えないのですが、私は2016年から3年間、日本語教師をやっていました。50代後半の新人で日本語学校では最下層。先生たちには親切な人もいじわるな人もいて、とんでもなく大変な日々でしたが、なんとかやっていけたのは「ここでは最下層でも、私にはそうじゃない世界もある」と思えたから。
思えば、特定のカーストに組み込まれるのがいやで、ずっとフリーランスの立場で働いてきました。苦労もあったけれど、複数の仕事先があるのは精神的にはとても楽でした。出版不況になる前の時代だったので、ある編集者に評価されなくても、雑誌や出版社は他にたくさんあったのです。
昨年、ウラナイ8が誕生しました。占い好きが集まって何か楽しいことをしようという集団で、複数の所属先を持つのはいいことだと思って参加しました。長い老後を楽しく生きるためには、お金よりも所属先の質と量が肝心です。

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