先週の年筮の会で、ともみんさんが出したのが山天大蓄。

ともみんさんにとって蓄積したいものは何だろう? 世俗を超越しているからお金じゃないし、スリムな体型を維持しているから脂肪を蓄積することもなさそう。

来年は徳を積む年になるんじゃないかと伝えたら、ともみんさんは「徳って何だろう」と考え込みました。そして、ある人に親切にしたら手書きのお礼状と現金が届いて、お金の方はお返ししようかと悩んでいるという話をしてくれました。

 

ネットで見た話。

那覇のコンビニの駐車場でオバァが運転席窓の前に立ち「すいません、今日退院したんだけど家まで送ってくれませんか? タクシーが捕まらなくて」と頼んできた。「いいよ、乗って乗って!」と、言われたアパートまで送り荷物も2階まで運んであげた。オバァは「ありがとう、ありがとう、本当にありがとう」と拝みながら1000円札を渡そうとするので「そういうの、いらない、いらない」と断ったら、1000円札を投げてきた。その後も「ありがとう、ありがとう」と唱え続けるオバァに泣く泣く1000円札を拾って階段を降りた。

タクシーならワンメーターの距離だそうです。ネット民からのアドバイス。

「こういうのは、もらってあげるのも相手の方の罪悪感を緩和するのに良いと思います」

「お正月ぐらいに、そのいただいた1000円で何か買って『元気ですか』って挨拶に行ったらどうでしょうか」

 

電車で席を譲られたら「私は年寄りじゃない!」と憤慨する人もいるそうです。

スペイン巡礼の帰途、マドリードの地下鉄で、初めて席を譲られました。譲ってくれたのは若い女性です。「ついに私も高齢者か」とショックを受け、「大丈夫です」と遠慮しようとしたのですが、ありがたく座らせてもらうことにしました。空港行きだったのでバックパックを前に抱えていたし、巡礼のシンボルである帆立貝をつけたままにしていました。はるばるアジアから巡礼に来た東洋人をねぎらってくれたのかもしれません。

もしかしたら、人に親切にされるより、親切にするほうが気分がいいのかも。だったら善意を受け取るのも、徳を積む一環ではないかと考えるようになりました。

これから年を重ねて人の手を借りることが多くなっていくでしょうが、若い人からの善意は気持ちよく受けて「このおばあさんに親切にしてあげてよかった」と思われる老婆を目指します。

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