『百年の孤独を代わりに読む』では、マコンドの長い雨が上がったとき、一族の始祖の妻であるウルスラが片づけに覚醒するようすが『人生がときめく片づけの魔法』で語られます。

「こんなだらしないことで、どうするの」と、一瞬も休まずに片づけに着手するウルスラ。

あたりが暗いうちに起きて、手のすいている者は子供まで使った。まだ着られそうな服を日に当てた。殺虫剤の奇襲をかけて、ごきぶりを追い払った。戸や窓の白蟻が食い荒らした跡をこそげ落とし、巣の蟻を生石灰で窒息させた。昔に戻したいという熱意に駆られて、見捨てられていた部屋をのぞいて回った。ホセ・アルカデオ・ブエンティアが賢者の石を求めて正気を失った部屋から、がらくたや蜘蛛の巣を取り除かせ、兵隊たちに引っ掻き回された金細工の仕事場を片づけた。

『コロナの時代の愛』では、フェルミ―ナ・ダーサが断捨離を始めようとしますが、こちらはウルスラほどうまくいきません。

https://bob0524.hatenablog.com/entry/20151206/1449369058

 

そして、片づけのモチベーションが上がるのが『この世でいちばん美しい水死体』という短編です。

カリブ海沿岸の粗末なバラックが点在する村に長身で凛々しい男の死体が流れ着きます。村の女たちは水死人に心を奪われ、死装束を縫いながら、「もし彼がこの村に住んでいたら…」と空想します。

彼の妻になった女はこの世でいちばんの仕合わせものになるだろう。これほど立派な男ならきっと魚を呼び集めてやすやすと漁をするだろうし、荒れ果てた岩地に水の湧き出る泉を堀り、花の種を蒔いて絶壁をお花畑に変えてしまうにちがいない。

そのうち、年の功で他の女たちより冷静な老女が「顔を見ると、エステーバンという名前じゃないかって気がするね」とつぶやきます。

エステーバンという名前が付けられたことでマジック・リアリズムが炸裂。エステーバンは図体が大きいばかりに生前はさぞかし辛い思いをしたのではないかと村の女たちは空想を広げて胸を痛めます。

よその家を訪れたときは、半身になってドアを通らなければならないが、それでも戸框に頭をぶつけたにちがいない。訪問先では海牛を思わせるピンク色の柔らかな手をもて余してぼんやり突っ立っている。と、向こうの奥さんが家にあるいちばん丈夫な椅子を探してきて、これでもひょっとすると壊れるかもしれないと心配しながら、さあ、さあ、エステーバン、これにおかけない、と声をかける。彼は壁にもたれたまま、いや、奥さん、どうかおかまいなく、このほうが楽なんです、と答える。けれどもじつを言うと、椅子を壊して恥をかくのがいやだったのだ。

見ず知らずの他人をなぜそこまで手厚く葬らなくてはならないか、いいかげんにしろ、とがなりたててていた男たち。その心無いことばに胸を痛めた女のひとりが、水死人の顔を覆っていた布を取ったとたん、男たちも息を呑んでその顔に見とれました。そして 彼がもし生きていたらこう言ったことだろうと想像します。

 こんなことになるのなら、人気のないもっとさみしい場所を選んで、首に囚人船の錨をくくりつけて絶壁から身を投げるのでした、そうしていたら、せっかくの水曜日にこんなご迷惑をおかけすることもなかったでしょうし、自分とはなんの関わりもない水死体という厄介なお荷物のせいでお騒がせすることもなかったはずです。

 

よそ者の葬儀としてはこれ以上ないほど立派な葬式が執り行われたあと、村は変わっていきます。

村人の思い出の中で生きるエステーバンが痛い思いをしないように、家の戸は大きな戸に付け替えられ、天井を高くしてがっしりとした造りに。彼の思い出をいつまでも大切にするために、家の戸に明るい色のペンキを塗り、額に汗して岩を削って井戸を掘り、絶壁に花の種を蒔きます。外洋を航行する豪華客船の船客はむせかえるようなジャスミンの香りで目を覚まし、船長はブリッジを降りてきて14か国語を使ってこう説明します。

ごらんなさい、皆さん、穏やかになった風がベッドに入って眠りにつこうとしているあのあたり、日射しが強すぎるのでヒマワリがどちらを向いたものかと戸惑っているあのあたり、あそこがエステーバンの村なのですよ。

ガルシア=マルケスはコロンビア人というより、カリブ海への愛着が強くノーベル文学賞受賞式ではタキシードではなくカリブ海の民族衣装で臨みました。彼の創作のエネルギー源となったカリブ海を一目見たい、そうした思いで今回の旅が実現したのです。

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