昨年の春に3年間続けた日本語教師の職を辞して、気ままな毎日を送っています。

本業の原稿書きは続けているものの、全盛期のような締め切りのプレッシャーはありません。おもしろそうな本を読み、ネットフリックスも観放題。時間を自由に使えるのはなんと楽しいことでしょう。

しかし、気ままな日々には落とし穴もあります。

朝起きた時にはあれもやろう、これもやろうと意欲に満ちているのですが、昼過ぎになると「ま、いいか」と白ワインのボトルを開けたり。やりたいことが何もできないまま翌日を迎えるのです。

 

日本語教師の日々、自由時間はほとんどありませんでした。月曜と水曜日は選択科目の作文。火曜日は漢字、文法、語彙といったオーソドックスなクラス。授業準備と添削に追われ、その合間に週刊誌と月刊誌の連載をこなしていたので休日はほとんどありませんでした。短い旅に出ても、移動時間はすべて仕事に当てていました。

プレッシャーに押しつぶされそうなハードな日々。よくあんなことができたものだ、もう二度とごめんだと思う一方で、あの3年間、悩むことはほとんどありませんでした。考えることは「次の授業」「次の締め切り」だけだったから。

それが今は何でもできる自由がありながら、何も進まない状態。選択肢や機会がありすぎて、いつも決断を迫られていて、心理的な負担になっています。そこで思い出したのがシーナ・アイエンガー著『選択の科学』という本。

選択肢が多い自由な社会のほうが幸せだと思いがちだけど、実際はそうでもない。

たとえば結婚。自由恋愛はすばらしいけれど、選んでいるうちに婚期を逃す。あるいは結婚してみたものの、この人を選んで正解だったのか悩んでしまう。

インドは親同士で結婚相手を決めることが多く、時代遅れで封建的だと感じますが、これがけっこううまくいき、自由恋愛よりも幸福度が高いという調査結果が出たそうです。

そして有名な「ジャム実験」。スーパーに24種類のジャムを並べると消費者は選べない。6種類に限定したほうがよく売れます。東ヨーロッパの旧共産圏の人々は、スーパーにさまざまな商品が並ぶようになって、どれを選んでいいのかわからなくなり大きなストレスを抱えました。長期的な株式投資は有利だとわかっていても、銘柄が多すぎて参入をためらってしまう…。

だからといって、選択肢が少なすぎる時代に逆行することはできません。

そこで占いの出番です。今がどんな年回りかわかれば、やるべきこと、やらなくていいことがおぼろげながらわかってくるし、選択肢に迷ったら易やタロットを参考にしてもいいでしょう。すべてを選択しようとせず、天の声に従うというのは、生きていく上の知恵の一つです。もちろん、盲目的に従うのではなく「これは違う!」と心が叫んだら無視していいのですが、そういう叫びが出たこと自体が生きる指針となります。

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