先日、ネットである占い師がこんなことを書いているのを目にしました。

「あなたは恋人と別れると告げるのは、占い師失格。本当に実力がある占い師なら、恋人と別れなくて済む方法を伝授できる」

 

たしかに恋人とうまくいかなくなって占い師に駆け込む人は、なんとか関係を持続させることを望むでしょう。「無理です。別れるしかありません」なんて無慈悲なことを告げる占い師は恨まれるし、「大丈夫、こうすればうまくいくから」と甘い言葉をかける占い師のほうが一時的には好かれるでしょう。

しかし、その相手とずっと一緒にいることが本人に吉なのか。不毛な関係を続けるよりは、すぱっと割り切って次に行ったほうが人生が好転することもよくあるのです。

 

ケネス田中先生の「仏教を英語で学ぶ会」、12月のテーマは無常(impermanent)でした。日本では平家物語の諸行無常のイメージが強く、暗くて悲しい連想をしがちですが、無常は決して悪いものではないとケネス先生。

This life is impermanent. In an ever-changing world, we are living a new life everyday.

人生は無常であるからこそ、私たちは毎日、新しい人生を生きることができます。

もし人生が固定されたものだったら、どんなに窮屈なことでしょう。

ケネス先生が例に出したのは中国古典『淮南子』の「塞翁が馬」。

馬に逃げられてしまった老人は、友人や親せきから慰められます。しかし老人は「これは幸運の兆し」と言います。逃げた馬はもう一頭の馬を連れて帰ります。みんなに祝福されたらこんどは「まずいことが起こるかも」。老人の息子は飼いならされていない馬に乗って足を織ります。周囲は慰めますがまたも老人は「良い結果になるかも」。戦争が起こり、徴兵された若者は命を落としましたが、骨折していた息子は徴兵を免れました。

仏教の教えも占いも根本は同じ。目先の幸不幸に囚われない視点を与えてくれます。

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