経営コンサルタントの本なんてと思っていましたが、意外とおもしろかった『自分の時間を取り戻そう』。加齢による制限が多くなるからこそ、自分の欲しいモノを最小のエネルギーで手に入れる高齢者を目指します。

https://bob0524.hatenablog.com/entry/2022/05/17/191051

 

そうは言っても、「自分の欲しいモノ」を正確に知るのはなかなかむずかしい。時間や状況によって変わるので、ひたすら求めているモノが実は欲しいモノではなかったということもあります。

ちきりん氏が例に出しているのは、不妊治療を延々と続けている人。年とともに確率は低くなっているのに「あと1年続ければ」とやめられなくなっているのです。

そういう時は「子供が欲しい」という願いを自分の言葉で説明してみるべき。

「自分のDNAを残したい」という願いなら、残念ながら今世では無理だとあきらめる。

「子育てを経験してみたい」なら養子縁組という手もある。

「充実した人生を送りたい」なら、子育て以外に自分に向いていることを考える。

 

女性誌で不妊治療の記事をよく書いていた時期があります。ネットでの情報収集が普及していなかったころ、女性誌の医療記事は手堅いニーズがあったのです。書いていたのは主婦向け雑誌でしたが、意外にもすでに子どもがいる読者が熱心に読んでいました。二人目、三人目ができない悩みも寄せられていましたが、不妊治療の苦労を読むことで母親としての幸せにひたるという人もいたのでは。

編集者が私を起用したのには理由があります。不妊に悩む女性はナーバスです。未婚あるいは子どものいる記者だと「あなたに私の気持ちはわからない」と心を閉ざされたりしますが、既婚で子どもがいない私ならうまくネタを拾って来れるのです。

といっても私は嘘は言いません。「結婚して7年、子どもはいません」と自己紹介するだけで「あなたも同じ立場…」と勝手に共感して心情を吐露してくれるのです。今は意識も変わっているでしょうが、同世代がこれほど子どもに執着していることに私のほうがびっくりしました。そして、不妊治療以前に子供がいない既婚女性を不幸と決めつける視野の狭さをなんとかしたほうがいいんじゃないのといじわるな気持ちを抱いていました(せっかく取材に応じてくれたのにごめんなさい!)。

 

人間は投入した資源が大きすぎると、あきらめるのがますますむずかしくなります。過去の自分の努力を正当化したいからです。

東大を出て電通に勤めていたエリート女性の過労死。

小学生の頃から勉強が得意。経済的に恵まれていない家庭だったので、特待生として私立に進学。東大なんて考えてなかったのに、学校側のバックアップで東大を目指します。学校にとっては格好のPR素材です。本当は法学部に行きたかったのに、現役合格しやすい文学部を選び「自分で稼いでお母さんに楽をさせてあげたい」と最も高給の電通に就職。

お母さんを最も悲しませる自殺を選ばなくてもよかったのにと思うのは外部の感想。

人間は追いつめられると本当に自分が欲しいモノがわからなくなってしまいます。

 

50代後半、日本語教師として働いていた3年間、私もその状況でした。

見晴らしのいい渋谷の高層ビルで欧米富裕層の子弟に日本語を教える私。非常勤講師なのに、「このステイタスを守らねば」とエネルギーを投入していました。学校はGWやお盆、お正月は関係ない外資系。そして自宅で働くライターの仕事も続けていたので、365日ほぼオフの日はなかった記憶があります。学生からの評価が悪ければ切られる中、職員室では古参ナンバー2の地位まで昇り詰めました。

そんな私の目を覚ましたのが母の死。パーキンソン病で胃ろうを付け廃人状態だったので、死への覚悟はできていました。そろそろ危ないと連絡を受けて実家に向かう新幹線でも、代講の先生への申送りを作成していたほどの仕事中毒。それでも初七日、四十九日と過ぎるうちに、憑き物が落ちました。限りのある人生、得意でもないことにエネルギーを投入するのはやめようと退職を決意できました。

私が本当に欲しかったのはオタク外国人とのおもしろおかしい交流だったのに、いつのまにか「あの学校で働き続けるのはすごいこと」という社会からの評価に置き換わっていました。退職した翌年にコロナ禍となり、留学生の入国はストップ。私がこだわっていたステイタスが幻想にすぎなかったことがわかりました。

 

がんばれば道が開けることがありますが、その道がまちがっていたら、単なる徒労。外部からの声で視野の狭窄から抜け出すために占いを活用するのも一つの方法です。

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