『街の隠者』前編

「占いの勉強はとっても楽しいけど、このまま続けていったら、この先はどうなるんだろう?」長く続けている人の中には、そう考えたことのある人はきっと多いだろうと想像します。はたまた「占いの勉強はしてみたいけど、占い師になりたいわけじゃないし…」とおっしゃる方もきっといらっしゃることでしょう。

実はわたしもそうでした。占いの勉強を熱烈にモーレツにしていたころには、いろいろな方に「占いを仕事にしないの?」と尋ねられて、こんな返事をしていたことがあります。「占いはわたしのだいじな趣味です。趣味を仕事にしたら楽しくなくなります。それはもったいない。それは嫌なんです」と。

ほとんどの人はそこで「そうなんだー」と話題を変えるんですが、まついなつき先生だけはちょっと違いました。珍しくわたしの目を一瞬ちらっと見てから、ふっとまた目線を反らしてこう言ったんです。

「そうなの?仕事にしたら、もっと楽しいよ。お客さんじゃなくて、わたしたちの仲間になるんだよ」って。

ええ。作り話じゃありません。実話です。ぜんぜん盛ってません。いつだったかは定かでないですが、たぶん2010年くらいでしょうか。いやはや。まいったなー。ほーんと、人たらしだわ…

当時のわたしといえば、2004年から治療院をひとりで営んでいました。ゼロからのスタートで、最初はとにかく試行錯誤ばかりで本当にたいへんでしたが、いろいろなタイミングと幸運とが重なって、とにかく数をたくさん経験することに恵まれました。しかし、ひとりで可能な限界を大きく超えてしまったうえに、鍼灸院以外の業務も本格的に関わっていました。ありがたいことではありましたが、体はひとつ。一日は二十四時間。ついに働き過ぎで体を壊して、2007年明けには大きな手術を受けました。それからはなるべく外界と接触しないように、あれこれ大量にお断りして最低限の仕事だけしながら暮らしていました。

少し時間ができたので「なんでこんなにわたしばっかりこんなめにあうの?」と素朴な疑問を解消するべく、本格的に占いの勉強に時間とエネルギーを費やし始めました。幸か不幸か、あっというまに自分の図に飽き飽きしつつも、「占いで人生が好転するのでは?」というぼんやりした希望だけは、なかなか捨てられませんでした。

いまならわかりますが、同じ穴の周りをどれだけぐるぐるしても、どんなに深く深く掘ろうとも、そこからの行動がなければ、現実は何も変わらないのにね。どんなにたくさんの占いで(特に命術)を学ぼうと、それは鏡を見ることと同じです。自分は自分のままで、いきなり自分はない何者かになることなんかできません。

どんなに占いを勉強して、どれだけ占ってもらったって、悶々としてぱっとしない自分は、やっぱりいつまでも悶々としてぱっとしない自分のままでした。ただ占ってもらうだけでは、人生は変わらない。ふわふわした甘い夢は消えて、そもそもの「なんで?」の仕組みを探求するプロセスに、熱烈にハマりこみました。とにかく、占いの仕組みや機序をもっともっと知りたかった。ただそれだけでした。

占い師にならないの?という問いには、自動的にこう答えていました。

「え?わたしはもう仕事あるし。おかげさまで、そこそこ忙しいし。インスピレーションの火も、共感の水もないし、霊感も不思議能力もゼロ。センスない。たぶん少しだけ得意なのは、複雑な何かを説明する能力だけです。神秘のカケラもないんですよ」と。さらにそこに冒頭のエピソードもありました。

「占いはわたしのだいじな趣味です。趣味を仕事にしたら楽しくなくなります。それはもったいない。それは嫌なんです」という思いは、確かにありました。

あれ?おかしいな。それなのに、いつの間にこんなことになったんでしょうね。思いがけず、想像もつかなかったようなはるか遠くまで来てしまったことに、改めてびっくりします。たくさん占ってきたはずなのに。自分の占った小さな予測を、現実のできごとははるかに超えてきます。だからおもしろい。

続きはこちら。1月31日号へどうぞ。

ということで、今年はさまざまな形で「占いの勉強をすると、その先は?」というテーマについて書いたりお話ししていくつもりです。みなさまのお話もぜひ聞かせてくださいね。

1月21日は、まついなつき先生の一周忌でした。まつい先生を偲ぶとともに、これから占いを学んでいく方々へのエールとして「中野トナカイ→ウラナイトナカイ」のお店日記をまとめたメモリアル本「トナカイお店日記。」が出版されました。

みずまち☆ゆみこのboothサイトにて販売されます。みなさまぜひお知らせメールをご登録の上、お待ちいただければ幸いです。

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