有名占い師、今注目の占い師の皆さんの生の声を聞きに行く「占いインタビュー」
占いの世界で様々な形で活躍している方々に、「どうして占いの道に?」「どうしてそういう仕事の形態に?」などの色々な質問をしていきます。
今回のインタビューは、この「ウラナイ8」の編集長である翡翠輝子先生です。
女性誌を中心に様々な占いや開運についての記事を執筆されている翡翠先生。どのようにして占いの世界に入ったか、どのように仕事を拡げられて来たのか、あとは「開運とは何?」などのお話を伺いました。
翡翠先生のお茶目な一面がわかるインタビューです。ぜひご覧ください。
(夏瀬杏子)
東京に転居し、フリーランスライターとして女性誌を中心に幅広く執筆。
現在は占い関係の記事の割合が多い。
どのようにして占いの道に入ったのか伺いました
昔は別の仕事をしていたんですよね?
大学を出たころは大阪で普通の会社員をやっていたのだけど、その頃はコピーライターがブームだったからコピーライターになって企業の広告をやっていました。
特に家電、それも洗濯機や冷蔵庫とか、白物って言うんだけど、そういうのは女性が書いた方がいいと言うのでよく担当していました。
結婚相手がいきなり東京に転勤になったので東京に来てコピーライターを続けていましたが、その頃はバブルの始まった頃だったので広告業界はすごく忙しかったです。
でもコピーライターも、結局はクライアントの意向が全てを決めてしまうし、すごく不自由だな思うようになって、東京は出版の中心地だからそちらのライターもあるということで出版業界に入りました。
家電のコピーライターをやっていたということで、家事関係。ネットがまだ無い時代だったから、みんな雑誌が情報源だったんです。
新米主婦向けの雑誌に書いていたけどそれもつまらなくなって、結局マネーとメディカルが専門になりました。昔からお金が好きだった(笑)
お金をいかに増やしていくか、どんな金融商品がいいか、株をどうやって運用するかとかをファイナンシャルプランナーや経済ジャーナリストに取材して書いていました。
最後は脳外科医の本まで書きました。 神の手と呼ばれる脳外科医の手術に立ち会ったりしましたが、ここまで来るとメディカルの方ももういいやとなりました。
女性誌には必ず占いのページがあるのですが、たまたまやっていた仕事の一環でその占いページが回ってきた時に、なんて楽なんだろうと思ったんです
だって最初は占い師に取材に行くけど 、ロジックとその先生の考え方が分かればだいたい記事が書ける。
例えば同じ1ページ作るのでも、 美味しいラーメンという取材だったらラーメン屋さん5軒回って、試食して、カメラマン連れて行って撮影してとすごく手間がかかります。
ですが占いだったら、例えば十二星座占いの特集なら、1星座1ページで一つの取材で12ページできるというのに本当にびっくりして、これはいい、と思ったのが最初の不純な動機でしたね。
それで私も勉強してみようかと思ったんですか?
そこでまた不純な事に、西洋占星術は専門ライターが結構いて競争が激しかった。
東洋占術を書けるライターというのをそのころ編集者がすごく求めていたので、じゃあ東洋を勉強しようと思って本を読んでみました。
が、西洋占星術は本を読めばある程度わかるのに、東洋占術は本を読んでもなかなか理解できませんでした。
漢字も難しかったり。
これは何とかしないと思って、学校を見つけて、四柱推命と易と風水と九星気学と一通り覚えて、そのあと1人の先生だと偏るから他の先生からも四柱推命と易と九星気学をもう一度学びました。
こうやって一通り勉強したら、もうどんな先生に取材に行っても話がわかるようになりました。
その頃、週刊誌で週替わりで色々な先生に出てもらって開運術を書いてもらっていたことがありましたが、最初はそれぞれの先生のところに取材に行っていたのに、 占いの知識を身につけてからはある程度聞けば書くことがわかるようになって、途中から取材にも行かなくなりました(笑)
仕事はすごく楽になったし、プラス書くことによって学校で習った知識が自分の中で深まっていきましたね。
学校で習ったことを次の日には原稿にしてお金をもらうような生活だったので。
占いの学校の後は現場で占うのが一般的だろうし、やっぱり実際に鑑定をしないと見えてこないものもあるだろうと思いました。
ライターをしながら修行だと思って、2年間、横浜の中華街の占いの館で週一回座っていました。
翡翠輝子先生インタビューVOL.2は来週木曜日にお届けします。
どうぞお楽しみに。
VOL.2はこちら
VOL.3はこちら