有名占い師、今注目の占い師の皆さんの生の声を聞きに行く「占いインタビュー」
占いの世界で様々な形で活躍している方々に、「どうして占いの道に?」「どうしてそういう仕事の形態に?」などの色々な質問をしていきます。
今回のインタビューは西洋占星術研究家の芳垣宗久(よしがきむねひさ)先生です。
西洋占星術を長年研究されており、鑑定はもちろん講座や占星術スクール主催などで幅広く大活躍中されている西洋占星術における第一人者のお一人でいらっしゃいます。
占いの道にどのように入っていったか、いつもどのように研究を深めているのかなどの様々な話を、ウラナイ8メンバーの深瀬まる先生と一緒に伺ってきました。全三回です。(夏瀬杏子)
VOL.1はこちら→★
占星術との出会い
高校を卒業してからは僕しばらく引きこもりだったんですよ。
たまにアルバイトには行ってたんですけど「あんたどうするの?」って親には言われました。
読む本は占いやオカルトの本ばっかりだし、変な宗教に入ってるんじゃないかとか心配されるような時期だったので、親は心配しますよね。
まあでもその頃に占星術の本を読んでホロスコープ書いたりとかは始めました。
そうこうしてるうちにやっぱり働かなきゃなぁと思って専門学校に行き始めました。
その後クラスメイトの1人に、「オーストラリアに行って一緒に仕事しないか」って言われたんです。
そう、鍼や指圧のクリニックがオーストラリアで結構儲かってるらしいから、日本でやるのもいいんだけどオーストラリア行かない?って言われて、それも面白いかなと思って。
ワーキングホリデーってあるじゃないですか?
自分はそれで入国したんですけど結局うまくいかなくて1年で帰ることになったんです。
その時は落ち込んで・・・かっこいいこと言って出かけたのに日本に帰るのは恥ずかしいじゃないんですか。
経験がないからビザは出せないって言われて。
それでまた落ち込んで、お金も無くなって・・・所持金もオーストラリア行ったときさえ8万円しかなかったのに。
シドニーで一番安いホテルに泊まったんですけどもうお金が無くて帰るにも航空券も買えない、こんな大都会で友達もいない、 カードもない、親にも金を借りれない、どうしたらいいの俺ってなって、公園でぽろぽろ泣いたんですよ。
こういうことがあるんだなって思って。
多分北欧の人だったのですが、女の子が地面にビニールシートを敷いてタロット占いをやっていたんですよ。
あ、これだ!俺占いできるじゃん!!と思って頑張って英語で「これ儲かる?」って聞いたら、夜クラブで遊んだりケバブ食べたりするくらいかなって言うから、多分その時の所持金は10ドルぐらいでしたが、すぐ本屋に行ってタロット買いました。
そしてすぐにジャパニーズマーケット(日本食の材料の店)に行って、「タロット占いやります」って紙を貼り付けたんです。
それがもう次々と来てくれて、そのお金で帰りの航空券が買えたんですよ。
当時は日本人の占い師なんていなかったみたいで噂になって、留学生や国際結婚している主婦の人が次々とやって来て、「ミスタームーンに聞けば何でもわかる」みたいな変な噂が流れちゃって。
友達が勝手に名付けたんですけど、「満月の夜だけに現れるミスタームーン」って。
日系人社会って結構変な噂が立つのですが、「日本の凄い超能力者が来ていう言えば十聞けば十当たる」みたいな噂がバーっと流れたんです。
こんなにオーストラリアに日本の女の人がいるんだって思いました。
日本人社会は狭い世界だから相談するのが難しいんですね。
占いで食ったというのはその時が初めての経験でしたね。
命からがら帰ってきてすぐ接骨院に就職しました。それで8年ぐらい臨床をやっていました。仕事は仕事で好きだし、頑張ってやっていましたが、またちょっと占いへの情熱が湧いてきたんですよね。
それもいい加減なんですけど白状しますね。
20歳くらいのころですかね、友達がくれば占い師のような顔して手相やタロットで占っていたんですけど、アレキサンドリア木星王先生のタロットの本を買って読んだら気になることが書いてあったんです。
この方はバリバリ実践型で占いの館も経営してる方ですが、その本にこんな占い師は採用する、こんな占い師はダメだとか、結構生々しいことを書いてあるんですよ
その中に「占術は複数必要である」って書いてあったんです。
タロット占いができるというのはほとんど常識みたいになってるけれど 、あとは占星術とか数秘学とか四柱推命とか、生年月日を使った占いができないと難しいだろう、必須の技術だと書いてありました。
そういうもんなんだ、そういえば雑誌に出てる人も西洋占星術だとか言ってるなあと思ったけど、算数とか苦手だったので嫌だなあと思ったんです(笑)
でも仕方ない1つはやってみないと、と本屋に行って西洋占星術の本を探しました。
西洋占星術と数秘学の本を何冊か買って一番合ってるものを探そうと思ったのですが、その時に石川源晃先生の占星術の本を買っちゃったんです。
めちゃくちゃ難しくてマニアックで。
あれを読んでも実践できないので、友達のホロスコープ書いて見せて「これがお前のホロスコープだ。これで色々わかるんだ。」ってビビらせるための道具として使ってたけど(笑)当時は全然読めなかったですよ。
自分のチャートも読めなかったです。
何がひどいって自分のチャートを作る時に生まれた時間が必要じゃないですか。
台所にいる母親に生まれた時間何時?って聞いたら即答で5時23分って答えたから、「何で覚えてる」って聞くと「あんた最初の子だから。弟二人は忘れちゃったけど」と。
それで作成したら12ハウスにいっぱい星が詰まってて、でも当時本を見てもあまりいいこと書いてなかったんです。それで嫌になっちゃったんです(笑)
ところが後で母子手帳が出てきたら、朝の5時23分と言ったのに夕方の5時23分だったんですよ!
ひどいじゃないですか。
ひどいじゃないかって文句を言ったら「あらそうだったかしら」って親の記憶なんていかにあてにならないかってことですよ。
それが変わりだしたのが、鍼灸学校に行き始めた頃だから24才頃だと思うんですけど、本屋に行ったら、占いの本はいろいろ持っていましたが松村潔先生の本が出ていたんです。
「あ、エルフィン(占い雑誌)で書いている先生だ」と、ハーモニクスの本でしたがパッと開いてみて「何だこの人は、こんな本読んだらおかしくなっちゃうよ」と思ってすっと閉じて占星術は辞めようと決心したんですよ(笑)
そしたら夢の中に松村先生が出てきたんです。
「松村潔先生ですか?」と聞いたら「そうです」って答えたんです。
で、見ると先生の腕が片方しかないんですよ。夢で水木しげると合体してたのかもしれない。
そしてもう片方の手には、自分が昼間に見ていたハーモニクスの本を持っていて、それを自分の胸にグイグイ押し当ててくるんですよ。
もうその本を持つしかなくて、「くださるんですか?」って聞いたら頷いたんです。
意味不明です。
当時ヒマだったから夢日記をつけていたんですが、この夢の意味って何だろうって思って、とりあえずそれを探るにはあの本を買うしかないなと思ったんです。
そして読んだらハマっちゃったんですよ。ハーモニクスとサビアンの本を買って、最初は全然よくわかんなかったんですけど面白いなと思ったんです。
その後パソコン通信というのやった時に松村先生が「虎の穴」というの募集しているということで、あっこれ行こうかなと思ったのがきっかけでしたね。
その時に初めて松村先生に会いました。
そこで「こういうスピリチュアルなことには報酬はいらないと思うんです」なんて言ってしまい、まついさんともう一人の女性が「お前のその軟弱な根性を叩き直してやる!」と怒り出してボコボコにされました(笑)
もちろんお金をもらえるのは嬉しかったですよ。
でも面白がられて、授業中にもよく「お前なんか言え」とか言ってくれて、多分一番若かったからじゃないかと思います。
自分ともう一人大学生がいて、その二人でいじられ役だったんですよ。
あとSさんという、とても優秀なサラリーマンかつ投資家の男性がいて、松村先生もすごく評価していた人なんですけど、一緒に授業を受けたある日の帰りにその人と、同じくいじられ役の大学生の人と3人で男同士でご飯食べませんかって話になって出かけたことがあるんです。
そこで3人でご飯を食べながら「どうしてこの講座に来たか」という話になったのでその夢の話をしたんですよ。絶対来いって言われたような気がしてって。
そしたらSさんが「芳垣さんもですか」って言うんです。
それは夢じゃなくてもう心霊現象じゃないかと思うんですけど(笑)
他にも何人かの人が先生が夢に出てきたって言ってましたよ。
何かあの人にはありますね(笑)アストラルを飛ばしてくるから。
虎の穴に行って半年ぐらいした時に、簡単なものですが自分のホームページを作ったんです。
そうしたら松村先生が自分の掲示板を見てくれたのか「ホームページ作ったね」って言ってくれたんです。
「あのタイトルのYokohama Bayside Astrologerって言うのは数年前から決まっていたよね」って言われたんですけど、あれはサイトオープンの時に思いつきでつけた名前だったので、「いや違います」「いや決まってた」「いや違います」となって、なんなのこの人と思いましたが、でもそこで言い争っても何にもならないので「そうかもしんないです」って言いました(笑)
3回目は来週土曜日の予定です。
お楽しみに。